ギャラリー集

金沢・七尾・高岡・富山城 177 七尾城(石川県七尾市古城町)
七尾とは標高300mほどの大小「七つの尾根」(松・竹・梅・菊・亀・虎・龍)から由来されているという。築城は正長年間(1428年~1429年)能登国守護の畠山満慶といわれているが、当時は砦程度の規模であり以後150年間にわたって領国支配の本拠として拡張、増強されたようです。郭、石垣、土塁、空堀などの保存状況は良く日本五大山城のひとつに数えられています。天正5年(1577年)能登国に侵攻した上杉謙信が包囲した際に詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に有名です。〝霜は軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁(かがん)月三更 越山(えつざん)併(あわ)せ得たり能州(のうしゅう)の景 遮莫(さもあればあれ)家郷の遠征を憶う〟(撮影日 平成23年9月10日)
130 後立山の盟主・鹿島槍ヶ岳(富山県黒部市・立山町、長野県大町市)
猛暑の時期は夏山に限ります。快晴と爽やかな涼風での山行きは最高でした。堂々たる山容は後立山連峰のほぼ中心に位置する双耳峰です。登山の魅力は展望とお花畑や紅葉の素晴らしさです。この山は上級者コースにはなっていますが、信濃大町から扇沢の登山口をスタートし約5キロ、約4時間で一泊目の“種池山荘”に着きます。翌日は〝爺が岳〟(標高2670m)を経て、二泊目の“冷池山荘”に不要な荷物を預けて鹿島槍ヶ岳山頂(標高2889m)を目指します。登頂後は山荘に泊まります。二日目は歩行約12キロ、約6時間ですが途中のお花畑や絶景展望を堪能してますと疲れはさほどでありません。下山後の生ビールが本当に美味しかったです。このルートは柏原新道コースとよばれ、ゆったりした日程で登山できます。山頂からは目の前に剱岳、立山連峰、蓮華岳、針の木岳、五竜岳、白馬三山が美しく、遠くには富士山、八ヶ岳、浅間山、北岳、甲斐駒ケ岳、戸隠連峰、火打山など眺望が素晴らしかったです。(撮影日 平成27年8月7~9日)
026 近江長浜城(滋賀県長浜市公園町10-10)
古城・名城を訪ねての範疇からは番外編のお城といえます。戦国歴史的には1573年に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が最初に城主となり、天下人へのスタートとなったお城でもあります。城下町を発展させ人材の登用も盛んにおこない、石田三成との出会いのエピソードは有名です。ただ現在の長浜城は昭和58年(1983年)に鉄筋コンクリート模擬天守閣で建てられています。創建時の城郭資料は無く天守としての歴史的な価値は評価できません。内部は歴史博物館として資料等が展示してあります。本丸西側に築城当時の石垣が一部残ってますが、大部分は徳川時代に彦根城築城の資材として使われました。また、関ヶ原合戦後に1国1城令により長浜城は1615年に廃城となりました。(撮影日 平成26年9月14日)
052 アクアマリンふくしま水族館(福島県いわき市小名浜字辰巳町50)
梅雨の晴れ間は気温がグングン上がり35℃以上になった地域が多かったようです。こんな日は全館クーラーで涼しい水族館が最高です。普段は見られない可愛い熱帯魚が気持ちよさそうに泳いでいます。子供だけでなく大人にも大人気です。3月に白馬八方尾根スノーシューで同室だった陶芸家がいわき市内の画廊で個展を開いていましたので訪問の後、水族館に立ち寄り写真撮影をしてまいりました。ほんの一部しか紹介できませんが、この夏は是非最寄りの水族館に足を運んで下さい。きっと涼しくなりますよ。(撮影日 平成27年7月12日)
186 小諸城(長野県小諸市丁311)
城は浅間山の西南麓に広がる千曲川の河岸段丘上に築かれており、城郭部が城下町より低い位置にあるため「穴城」ともいわれている。
武田信玄がこの地を侵略後、山本勘助が縄張りしたとも伝えられています。豊臣政権成立後は仙石秀久が城主となり近世城郭に改修しました。その後徳川時代は譜代大名が城主を勤め、牧野氏が10代続いて明治維新を迎えました。
見どころは重要文化財の大手門、三の門。深い空堀、複雑な虎口、天守台や二の丸石垣があります。桜と紅葉の季節がいいですね。
残念なのは本丸・二の丸と三の丸(大手門があります)の間に“しなの鉄道”でしょうか駅舎と線路があって分断されてることです。お城というと普通は目立つ場所にありますが、案内板がないと分かりにくい小諸城でした。(撮影日 平成25年12月22日)
092 利尻富士登山(利尻礼文サロベツ国立公園)
北海の孤島、利尻島。海上に浮かぶ孤高の独立峰「利尻富士」はフェリーや飛行機からも美しく眺望できます。ビギナーの登山ルートは鴛泊(おしどまり)登山コースです。山頂は1721mですが登山口標高は205m、標高差1,516mあり登りがいのある山です。
9合目上は火山砂礫で歩きにくく、強風下では非常に危険です。
避難小屋が1棟ありますがトイレブース3か所のみ、水場もなく携帯トイレと飲料水2リットル以上を持って登ります。癒しの高山植物はやや早いのですが、マイヅル草、ザゼンソウ、大葉のエイレンソウ、ハクサンイチゲ、ボタンキンバイ、エゾカンゾウなどが咲いており、苦行の登山に元気をいただきました。その他は名前が分かりませんでした。早朝4時30分出発し往復11時間の楽しい山旅でした。登頂を極め宿でのビールと生雲丹は絶品でした。(撮影日 平成27年6月20日)
沖縄 世界遺産9か所 076 (2) 琉球王国・首里城(沖縄県那覇市)
沖縄は太平洋戦争で一般人を含め多くの犠牲者が眠る慰霊の地という感じがしてなりません。明るい太陽と紺碧の海からはリゾートの風景を思い浮かぶのですが、米軍基地問題は解決せず戦後70年になっても、まだまだ爪後は消えません。
城の規模は東西450m、南北270mあります。曲線ラインの総石垣で囲まれており日本国内の城壁とは趣を異にしている。中国的な建物群は1715年に再建されたものが残っていたが、昭和20年に米軍の空襲、砲火で焼失してしまいました。現在の建物群は平成5年に沖縄復帰記念事業の一環として復興されたものです。朱漆たっぷりの、まばゆいばかりの正殿は異国情緒いっぱいです。平成12年には世界文化遺産にも登録されて多くの観光客で賑わっています。
(撮影日 平成23年1月27日)
IMG_0011 国営昭和記念公園の満開ポピー(東京都立川市)
パンフレットの「春盛り、花盛り、公園の春」を期待して、今の時期はポピー撮影に行ってきました。園内の“花の丘”は一面深紅の情熱のシャーレーポピーが満開でした。原っぱ西広場には黄色と白色が中心の可愛いアイスランドポピーがいっぱいに広がっています。
どこまでも広い緑の野原では幼稚園児や小学生たちの遠足、スポーツで賑わっておりママやパパも一緒になって楽しんでいました。このような平和な時間がいつまでも永遠に続くことを祈ります。(撮影日 平成27年5月15日)
567 津山城(別名:鶴山城 岡山県津山市山下)
津山盆地中央の鶴山(比高50m)に総石垣で雛壇のように3段重ねに曲輪を築いた平山城です。城跡は累々と巡る高石垣や櫓台と天守台が残っており堅固な風格を見せています。春は全国桜100選に相応しく城全体が桜につつまれた景観は圧巻です。築城は関ヶ原合戦後、織田信長の小姓として有名な森蘭丸の弟、美作一国18万6千5百石の領主である森忠政です。今年3月、上高地スノーシューでご一緒した仙台の森さんは末裔とのことでした。歴史にも詳しく写真もプロ並みの腕前で立派な方でした。この城の見どころは重厚な石垣群ですが、平成17年に築城400年を記念して木造により「備中櫓」が再建されシンボルになっています。(撮影日平成27年4月5・6日)
P4042139 桜の姫路城グランドオープン
約5年半の大天守保存修理を終えて、白く輝く姫路城の一般公開がはじまりました。4月4日はグランドオープンを記念して城内の三の丸広場で「第30回祝賀・観桜会」が開かれました。おだやかな天気に恵まれ100面の琴の演奏や和太鼓、バイオリン演奏などが披露され大勢の花見客で賑わいました。西の丸庭園のライトアップも無料開放で幻想的な夜桜に酔いしれました。お薦めは歩きかレンタサイクルで城の外周からの撮影スポットを巡ることです。
観光案内所にパンフレットもありますので分かりやすいです。
① 城見台公園周辺、②市立美術館、③県立歴史博物館、④シロトア記念公園、⑤男山配水池公園、⑥景福寺公園などから美しい姫路城が眺められます。(撮影日 平成27年4月4・5日)
126 近江八幡城(近江八幡市宮内町八幡山)
近江八幡駅から北西へ約2.5㎞にある鶴翼山(通称八幡山)標高283mにある急峻な山城である。築城は本能寺の変の3年後、豊臣秀吉の天下へ移行する中で、紀州攻めや四国征伐の副将格で武勲をたてた豊臣秀次が43万石で入封した。目と鼻の先である安土城から建物や資材を移築したほか、城下町をも安土から移転し近江商人発展の基礎をつくりました。城の山麓には御殿跡や重臣家来の屋敷跡などをうかがわせる重厚な石垣が残っています。八幡掘は琵琶湖水を引いて、城の防衛と水運に利用し城下町の発展に貢献しました。今も近江商人発祥の地として旧家が保存されており風情を醸し出しています。織田信長が夢見た天下統一は挫折し安土は寂れていますが、豊臣秀次が築いた近江商人のふるさとは今日も活気ある町となっています。(撮影日 平成27年1月11日)
038 雲龍渓谷氷瀑(栃木県日光市)
厳冬の風物詩、極めつけ氷の殿堂を紹介します。登山口は日光東照宮東側にある稲荷川沿いの狭い林道を登って行きます。雲龍渓谷と雲龍滝は女峰山の中腹約1500mにあります。1月中旬から2月中旬ぐらいまでが見頃のため登山者は平日でも多いようです。毎年恒例で山岳救助隊と地元消防隊がここで救助訓練を行っています。今年は気温が低いせいか氷柱が太く見応え十分でした。途中、積雪が多くなるとアイゼンを装着し谷の渓流も何度か渡りますので注意が必要です。凍った滝をクライミングしなければ危険はないと思いますが、ヘルメットは必携です。(撮影日 平成27年2月3日)
074 田辺城(舞鶴)城跡(京都府舞鶴市)
京都駅から特急で約1時間30分、西舞鶴駅に着きます。徒歩約4分で立派な大手門が見えてきますが道路反対側の警察署の建物が大きく城跡は貧弱に見えます。平城の宿命か現在は堀が埋められ石垣も大部分が破壊され、周囲は住宅地となっています。関ヶ原合戦前日まで細川幽斎率いる約500の城兵にたいし石田方西軍1万5千人が攻めあぐねていたとは想像できません。当時は深田で守りが堅く50日にも及ぶ長期戦となりました。幽斎は落城間際に「古今伝授の書」が亡失するのを憂い後陽成天皇に献上し、天皇は文武両道に秀でた文化人・細川幽斎の命を危ぶみ和戦を仲介し救った話は有名です。
関ヶ原の合戦に間に合わず貴重な戦力を無駄にした石田三成の采配は悔やんでも悔やみきれません。(撮影日 平成27年1月10日)
146 大雪山スノーシュー
スキーやスノーボーを担いだ多くの人達でいっぱいのロープウエーに乗って姿見駅を降りると目前に大雪山の威容が雪原に映えてました。スキー客は欧米人がほとんどで日本人は少なく感じました。真っ白でなだらかな山容をシュプールを描いて滑降していくのを見てるだけでも爽快な気分です。さあー私達はスノーシューをはいて噴煙を上げる山麓までトレッキングスタートです。“愛の鐘”や展望台がある“姿見の池”は厚い雪に覆われており、その上を気持ちよく歩きました。今日は風が少し強かったが快晴、青空の下で楽しく過ごしました。翌日の白金模範牧場でのスノーシューは青空の十勝連峰や美瑛富士、トムラウシ山がまじかに望まれ、足跡の無い広大な雪原を思う存分ラッセルしてきました。(撮影日 平成27年1月24・25日)
044 福知山城(京都府福知山市字内記)
京都駅から特急に乗り約1時間20分で福知山に着きます。駅から徒歩で約15分、丹波の山々に囲まれた盆地の中央にある城跡は背後に由良川、土瀬川を天然の堀とした要害の地にあります。天正7年(1579年)頃、丹波を平定した明智光秀によって西国攻略の拠点として築かれました。三層四階の天守閣は昭和61年(1986年)に復元。天守台から本丸にかけての野面積(のずらづみ)の石垣には五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が転用石として使われてますが、約400年の歳月を耐えてきています。本丸、天守の東側にある井戸は直径2.5m深さ50メートルの深さがあり日本一。今も清らかな水をたたえてます。早朝、駅前のホテルからは盆地特有の朝霧に浮かぶ天空の城が美しい。(撮影日 平成27年1月10日)
308 雪舞いの国宝彦根城
花びらのように舞う春雪、静寂なたたずまいの凛とした城郭。一幅の墨絵に似た無色の世界に目をうばわれます。本丸への坂道をのぼり、天秤櫓から太鼓門櫓をくぐるとキャラクターの「彦ニャン」が天守の前で迎えてくれました。どの角度から眺めても格調高い三重の天守閣です。それぞれの方角から撮影しましたが、特に「玄宮園」(げんきゅうえん)から池ごしの遠景が山水画のようで気に入りました。高石垣にしんしんと降り積もる風情をながめていると、花柄の傘をさした一人の女性と出会いました。仙台市から来て3日続けて彦根城を散策しているとのこと。えくぼの可愛い歴女美人でした。(撮影日 平成27年1月12日)
IMG_1282 福岡城(福岡県福岡市中央区城内)
関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)、徳川軍勝利に貢献大の黒田長政が筑前五十二万三千石を与えられ築城した。朝鮮出兵時、釜山の西方約135キロに位置する晋州城の攻防戦を参考に城構えや地形をならって築いたと言います。北方に博多湾、北西に海水を引いた大濠池があり防御しています。天守台は巨大だが徳川家康に遠慮して天守閣は築かなかったようです。建てられたと想定すると熊本城天守と同規模のような大天守と思われます。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」も、いよいよ大詰めです。織田信長の人質として殺されはぐった“松寿丸”が成人して黒田家頭領となり天下分け目の戦では福島正則や小早川秀秋を味方につけるなど大活躍でした。親父“官兵衛”の天下取りは想定外の結果に終わったのです。(撮影日 平成21年6月13日)
045 東京ドイツ村イルミネーション(千葉県袖ケ浦市)
東京ドーム27個分の広大な芝生広場に約200万個のLEDや電球を使って光と音楽の幻想的で楽しい世界を演出しています。イルミネーションを始めて今年で9回目、今年のテーマは「Shangri-La~笑顔」です。白雪姫の小人が住むような可愛らしい家にペンギンや白クマ、フクロウそしてアヒルの親子などと“木のこの庭”、恐竜もいました。虹色の大きなロケットが夢と冒険ロマンの世界に誘います。“日本夜景遺産認定”関東三大イルミネーションの一つに数えられています。点灯期間はH26.11.8~H27.3.31まで、時間はPM16:00~PM20:00までです。(撮影日 平成26年11月22日)
006 二本松城(福島県二本松市郭内)
標高約350mの白旗ヶ峰の山頂には中世山城跡があり、山麓には丹羽家十万石の藩邸を中心とした近世城郭跡があります。現在では山全体が“霞が城公園”として整備され、特に秋恒例の“菊人形展”は大勢の観光客が訪れています。見所は復興枡形門の「箕輪門」(昭和57年再建)や二階櫓、多門櫓、高石垣があります。山頂には復元された戦国期の石垣、天守台や櫓台があり安達太良山の素晴らしい眺望や二本松市街が一望できます。戊辰戦争では会津軍に属し官軍と戦い落城しました。十二才から十七才の「二本松少年隊」の悲劇は今も語り継がれています。主な城主は畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏などです。(撮影日 平成26年11月8日)
030 二本松の菊人形(福島県二本松市)
菊薫るこの季節は各地で菊花展や盆栽展そして菊人形展が開催されています。二本松では第60回菊の祭典「にほんまつヒストリア」が10月11日から11月24日まで開かれています。11月8日は東北地方の天気が晴れ予想でしたので撮影にでかけました。県立霞ヶ城公園は山城の紅葉や菊花展もちょうど見頃を迎えていました。例年、NHK大河ドラマを中心にした菊人形展が好評でしたが今年は地元の歴史をモチーフにした展示でした。戊辰戦争で忠義の戦死をとげた二本松少年隊や高村光太郎・智恵子の菊人形、安達ヶ原伝説など菊の香りと彩りが綺麗でした。会場から庭園を散策すると江戸期のカヤ葺建造物「洗心亭」茶室があり、お抹茶をいただけます。(撮影日 平成26年11月8日)
IMG_1262 南蛮造りの天守閣「小倉城」(福岡県北九州市小倉区城内)
小倉は関門海峡に面し、古くから陸海の交通の要衝として発展してきました。この地は鎌倉時代に緒方惟重(おがたこれしげ)の築城から戦国時代末期まで相次いで地方豪族の拠点として治められてきました。関ヶ原の合戦後に細川忠興(奥方はガラシャ夫人)が入国し本格的に修築しています。細川氏が熊本転封後は播磨国明石から小笠原忠真が入り幕末まで続きました。細川家が築いた天守閣は高さ22メートル、五層六階の南蛮造りでしたが1837年火災により全焼し再建されませんでした。慶応2年(1866年)幕府の第二次長州征討には高杉晋作が率いる長州奇兵隊の攻撃を受けて小倉藩は敗れ、城に火をかけて逃亡しました。現在の天守閣は昭和34年に再建されたものです。(撮影日 平成21年6月13日)
131 紅葉の田母沢御用邸庭園(栃木県日光市本町8-27)
田母沢御用邸は明治32年(1899年)に大正天皇(当時は皇太子)のご静養地として造営されました。
日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部分)を移築し、その後増改築をかさねて大正10年(1921年)に現在の姿となりました。今は記念公園として建物のほとんどと庭園を一般公開しています。特に四季折々の庭園は素晴らしく、春には古木に咲くしだれ桜、秋紅葉のイロハモミジ、ヤマモミジは圧巻です。紅葉の見頃は10月下旬頃から11月中旬にかけて楽しめます。(撮影日 平成26年11月2日)
IMG_1964 高取城(奈良県高市郡高取町)別名:芙蓉城
日本三大山城の一つで(他に岩村城、備中松山城)、奈良盆地南方に連なる吉野山系の標高583m山頂に築かれた山城です。登山道麓の“壺阪(つぼさか)寺”は「妻は夫をいたわりつ~夫は妻を慕いつつ~」で知られる夫婦愛の人形浄瑠璃「壺阪霊験記」の舞台です。苔むした岩に彫られた五百羅漢を鑑賞し急峻な細道を登ると城の石垣が見えてきます。険しく高い山にどうやって運んできたのか堅固な天守高石垣は特に見事です。築城は南北朝時代の元弘2年(1331年)、その後、戦国時代を経て豊臣秀吉の弟、羽柴秀長が統治し重臣本多氏の手で本格的な近代山城に修築されました。かつては三層の天守や多くの櫓があり、麓からは白壁が雪のように見えたと伝えられています。(撮影日:平成19年11月9日)
006 紅葉の越後駒ケ岳(新潟県南魚沼市・魚沼市)別名:魚沼駒ケ岳
標高2003m、日本百名山のひとつ。奥只見湖の近く銀山平温泉に泊り早朝3:40マイクロバスで登山口へ、枝折峠(1065m)から明神峠(1236m)、道行山(1298m)、百草の池(1540m)をへて頂上まで標高差約940m、歩行約14キロ、約9時間の登山でした。大型台風19号が奄美大島に近づき天候が心配でしたが快晴に恵まれ美しい紅葉の中、楽しい山旅でした。山頂からは360度の大展望が開け目の前に八海山、中ノ岳、荒沢岳が迫り巻機山や平ヶ岳、尾瀬の至仏山、燧ヶ岳、日光の奥白根山も展望できましたetc。温泉宿おもてなし料理が美味で特に“岩魚の塩焼き”に新潟銘酒が山の疲れを癒してくれました。看板娘の“早代ちゃん”また行くね???~。(撮影日 平成26年10月12日)
1337 津和野城(島根県鹿足郡津和野町後田)
標高367mの山上にある山城です。眼下に津和野の町並みが俯瞰でき、“SLやまぐち号”が黒煙を吐きながらミニチュア模型のように展望できます。山上には城郭跡の堅牢な石垣や堀切、竪掘りが残っており山麓には“馬場先櫓”“物見やぐら”が現存しています。 戦国史に残る“千姫事件”の坂崎出羽守(直盛)の居城でした。大阪夏の陣で大阪城から千姫を救出した褒美に千姫を与えるとの徳川家康の約束を迫って自害させられた(家臣の殺害説もある)悲運の武将でした。現代は城下町の水路に錦鯉が泳ぎ山陰の萩・津和野観光メッカとして多くの人が訪れています。(撮影日 H22.5.22
085 槍ヶ岳アタック(北アルプス 標高3180m 日本の山第5位)
登山愛好家なら一度は登頂したい憧れの山である。そのためのステップアップに数年をかけて体力、技術、経験を積んで挑戦します。それでも毎年、滑落や落石などで怪我や死亡事故が発生しています。本当に残念です。今回は上高地から横尾山荘(前後泊)、槍沢から槍ヶ岳山荘(泊)にて登頂しました。8月は天候不順が続き今回も雨が降ったり止んだりの悪コンデションでした。しかしながら槍穂先へのアタックでは霧が晴れて岩や鎖、鉄バシゴも滑らず絶景パノラマも堪能できて幸運でした。沢山の写真が紹介できなくて残念ですが、槍ヶ岳登山のクライマックスを少しでも見て頂ければと思います。(撮影日 H26.8.24)
077 備中高松城(岡山県岡山市高松)
羽柴秀吉が高松城を水攻め中に本能寺の変が勃発し、急遽和議を結び主君の弔い合戦に“中国大返し”で明智光秀を破ったことは余りに有名です。平城だが猛将「清水宗治」の守りは固く、沼地の湿地帯に囲まれていて秀吉軍は攻めあぐねていたようです。今は水路と水濠の中州のような本丸跡に宗治の首塚が残っています。NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」でも7月に“水攻め”や“清水宗治切腹”シーンが放映されてますが、水攻めのアイデアは官兵衛なのでしょうか。「秀吉」天下取りの第一歩に違いなく歴史ファンならずとも大ロマン・ミステリーを感じます。(撮影日 H22.6.5 )
078 大雪山に咲く花
前々回に羊蹄山の高山植物を紹介しましたが7月28日に大雪山(旭岳2291m)に登ってきました。26日「銀仙台」、27日「黒岳」と雨に降られましたが旭岳は快晴に恵まれ汗も出ないほどの爽やか登山で最高でした。多くの高山植物が咲いていましたが写真はダイセントリカブトです。次ページ5枚の写真=1枚目はミヤマリンドウ、2枚目はイワブクロ、3枚目はミヤマキンバイ、4枚目はチシマクモマグサ、5枚目はエゾヒメクワガタです。(撮影日 H26.7.28)
044 月山富田城(島根県安来市広瀬町富田2188)
創築・築城者は平安末期か鎌倉初期ともいわれるが不明です。城は富田川(現飯梨川)に面した標高197mの「月山(がっさん)」にある典型的な山城です。出雲を中心とした中国地方の戦国大名の尼子氏代々の居城でしたが、永禄8年(1565年)毛利元就に攻められ滅亡しました。尼子氏の忠臣、山中鹿之助のお家再興に尽力した話は有名で小説や映画、テレビでもでてきます。その後、慶長5年(1600年)に堀尾吉治が入城し総石垣造りで御殿も構えた近世城郭に大改修しました。現存遺構は石垣、土塁、堀切、櫓台、井戸などで特に“山中御殿成(さんちゅうごてんなり)”は総石垣で防御されていたようです。(撮影日 H23.7.10)
067 東京ドームの天使たち
伝統の「巨人×阪神」を観戦。デーゲームでしたので10時45分から巨人のバッティング練習を見たあと、後楽園遊園地を散策し試合開始14:00ちょっと前に再入場しました。内野席B指定席は外野に近かったものの前から3列目のため、ドームの天使たちのこぼれるような笑顔をバッチリ撮影できました。背中に重い「ビール・コーラ・ウイスキー・日本酒・梅酒・アイスクリームなど」をそれぞれに背負って、汗だくだくでも愛くるしい笑顔で“冷たいビールいか
がですか~”と来られると前の席のお父さん、なんと5杯も飲んでました。担当の観客席エリアを何回も階段を上がったり下りたりでスゴイなあ~と感心しましたね。これなら登山の足腰鍛錬にバッチリですね。(撮影日 H26.7.6)
605 盛岡城(別名:不来方城こずかた)岩手県盛岡市内丸
北上川と中津川の合流地点に築かれた平山城。築城年代は関ヶ原合戦の数年前、慶長2~3年(1597年~98年)、南部信直・利直父子が40年の歳月をかけて完成させました。以後明治維新まで南部氏代々の居城として続きました。城の建物はほとんど残っていないが盛岡産の大きな白御影石(花崗岩)の総石垣造りが見事です。会津若松城と白河小峰城とともに東北の石垣造の三大名城となっています。歌人「石川啄木」の作品に“不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心”があります。青年、啄木もお城が好きだったようです。(撮影日H20.4.4)
008 羊蹄山(蝦夷富士)の高山植物
北海道は梅雨が無いと聞いてますが快晴の青空でなく残念でした。6月28日はニセコアンヌプリ山(標高1308m)、29日は羊蹄山(標高1893m)に登ってきました。曇り空で眺望は駄目でしたが、どちらの山頂付近にも可愛らしい高山植物が見事に咲いていました。写真はミヤマオダマキです。写真をクリックして次の5枚の写真は左から①シラネアオイ、②エゾノツガザクラ、③イワウメ、④カンチコウゾリナ、⑤エゾカンゾウですがスペースの関係で全部を紹介できないのが残念です。登山は標高差1500メートルあるのでハードでした。早朝3:00起床、3:30比羅夫コースを出発、登頂後は真狩コースを下山し15:00到着と約12時間の楽しい?山旅でした。(撮影日 H26.6.29)
071 人吉城〈別名:球磨城・三日月城〉(熊本県人吉市麓町)
築城は建久10年(1199年)。鎌倉幕府・源頼朝の命を受けた現在の静岡県牧ノ原市相良を出身とする“相良長頼”を初代に中世城郭の特色が濃い相良氏歴代の居城として明治4年の廃藩置県まで球磨郡の領主・知事をつとめました。球磨川を外濠とした平山城で城域は約45万平方メートルと公式サッカー場が63面作れる広さです。この城で珍しい遺構は重臣の相良清兵衛屋敷の地下室に湯殿と同じ石組み井戸が発掘されてます。本丸護摩堂の湯殿と同様の行水施設と推定されています。また、函館五稜郭の「武者返しの石垣」と同じ「はね出し石垣」があります。建物の遺構は残っていませんが風格ある古城でした。(撮影日 H26.3.2)
198 南八ヶ岳(硫黄岳・横岳・赤岳縦走)
梅雨の晴れ間に恵まれ絶景を楽しんできました。JR茅野駅からタクシーで“桜平”登山口に到着。夏沢鉱泉から夏沢峠をへて“硫黄岳”(2760m)に登頂。直下、山小屋の“硫黄岳山荘”では第14回タルチョ祭があり、お酒が振る舞われ山もりの料理に感動し、老若男女が楽しい歌の交流で大いに盛り上がりました。翌日は“横岳”(2829m)から主峰・赤岳(2899m)を縦走し、美濃戸口に下山しました。新緑、若葉の樹林帯を歩き、岩稜のクサリ場、鉄ハシゴを登り降りと山の醍醐味とスリルを満喫しました。高山植物は“キバナシャクナゲ”“チョウノスケソウ”“オヤマノエンドウ”“コイワカガミ”などが見頃でした。(撮影日 H26.6.14~15)
221 飫肥城(宮崎県日南市)
九州の小京都といわれる五万一千石の城下町です。苔むした石垣の城跡が静寂な佇まいとマッチして“飫肥杉”の木立が歴史を感じさせます。城の周辺には藩主の住まいや旧藩校、武家屋敷、商家などが残っており散策を楽しませてくれます。また、ポーツマス条約(日露講和条約)で日本側全権を務めた“小村寿太郎”の生家と“国際交流センター小林記念館”も城の近くにあり遺徳を偲べます。飫肥城は伊藤氏と島津氏が長年争った境目の城でした。変遷ののち天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州平定に貢献した19代伊藤祐兵が飫肥城を賜り以来、明治4年の廃藩にいたるまで伊藤家14代の城主がこの地を本拠としました。(撮影日 H26.3.2 写真をクリックすると5枚の写真が開きます)
023 阿蘇山
4月25~27日二泊三日で阿蘇山、祖母山。久住山の日本百名山三山を登ってきました。天気に恵まれ清々しい山旅でした。阿蘇山は仙酔峡から溶岩や火山岩の道を中岳(1506m)、高岳(1592m)に登頂し噴煙を上げる火口群や外輪山の眺望を楽しみました。ミヤマキリシマは、まだこれからですが登山口の低木が咲き始め可憐なピンク色がきれいでした。(撮影日 H26.4.25 写真をクリックすると5枚の写真が開きます)
117 伊藤マンショ生誕地「都於郡城跡」(宮崎県西都市)
今年3月中旬の新聞各紙に「イタリアで伊藤マンショの肖像画を発見」と掲載されました。16世紀後半に九州のキリシタン大名がローマに「天正遣欧少年使節4名」を派遣したときもので約8年半かかって帰国しました。ちょうど2月28日から3月2日まで二泊三日で南九州7名城を回り、伊藤マンショが生まれ育った「都於郡城跡」を訪れたばかりでしたので感慨深く肖像画を見ました。日向の中央にある城跡は中世時代の山城で本丸、二の丸、三の丸、西の城、奥の城と曲輪があり自然の地形を生かした土の要塞となっています。
建武2年(1335年)伊豆から伊東氏が下向して築城し242年間、日向の国を治めました。(写真をクリックすると次の5枚へ進みます。撮影日 平成26年3月2日)
007 湘南妙義「鷹取山」(神奈川県横須賀市・逗子市)
群馬県の妙義山に姿かたちが似ていることから湘南妙義ともよばれています。三浦丘陵の山の一つで海抜139mのハイキングコースとして親しまれています。凝灰岩の岩肌に無数のハーケンを打ちこんだ穴が見られロッククライミングの練習場としても賑わっています。
私たちは今夏、槍・穂高登山の岩場登りの訓練でスリングとカラビナを使って繰り返し練習してきました。山頂展望台からは横浜方面の市街地や横須賀軍港に停泊中の潜水艦や護衛艦などが見えました。
写真は登山口にある天台宗の古刹“神武寺”で奈良時代724年“行基”が創建した。(写真をクリックすると次の5枚へ進みます。撮影日 平成26年4月12日)
014 (2) 現存天守最古の丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞1-59)
福井平野にある小高い古墳の上に築城した日本最古といわれる二層三階の天守閣がある。戦国時代、織田家の武将・柴田勝豊(柴田勝家の甥)が天正4年(1576年)に築城したあと城主は青山氏、今村氏、本多氏、有馬氏と変わったが火災や戦災にも遭わず明治維新を迎えた。しかし昭和23年の福井大地震により天守が倒壊し昭和30年に創建当時の姿で復元されました。城域は市街地化が進み現在は本丸と天守が残るのみで公園として市民に親しまれています。特に城の周辺にはソメイヨシノが植えられ北陸屈指の観桜地として賑わいます。また、長篠合戦場から本多作左エ門が妻に出した日本一短い手紙「一筆啓上。火の用心、お仙(息子で後年、城主となる)泣かすな馬肥やせ」が有名となり毎年のコンクールで全国から多数の応募作品が寄せられて町の活性化事業となっています。(撮影日 H26.1.24)
074 日本三大アルプス展望の北八ヶ岳・横岳(長野県茅野市)
おだやかな快晴に恵まれた雪山登山でした。「ピラタス蓼科ロープウエイ」で一気に2,237mの山頂駅をおりると一面の銀世界。約5時間の行程で南峰から北峰2,480mを往復しました。雪質は軟らかく軽アイゼンを装着しての快適な山旅でした。山頂からの眺望は素晴らしく南方に南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳、独立峰の御嶽山、東には白煙の浅間山が西には目の前に蓼科山が美しい雪化粧を見せてくれました。遠くに北アルプス連峰の屏風絵パノラマと大満足の一日でした。(撮影日 H26.3.9)
037 信州「上田城」(長野県上田市二の丸)
戦国時代の最後の猛将、人気NO1は真田幸村です。大阪夏の陣で徳川家康をあと一歩まで追い詰め戦場の露と消えた勇姿に共感します。真田氏は小説や映画、テレビ等でお馴染みですが真田家の築いた上田城は関ヶ原の戦い後に破却され、次の仙石氏が寛永3年(1626年)から再建し現存する3棟の隅櫓(長野県宝)が残っています。宝永3年(1706年)に城主は松平氏に替わり7代166年をへて明治維新をむかえました。真田氏は2代40年間、仙石氏は3代85年間なのに上田城下町は真田一色で観光PRしています。二度の上田合戦で徳川軍を破り智将、謀将の誉れ高く武勇を誇った真田一族に歴史ロマンを評価できるからと思います。(撮影日 H25.12.21)
023 東尋坊の夕陽(福井県坂井市三国町安島)
日本海の荒波に沈む夕陽と海岸美を見に福井県の東尋坊へ行ってきました。福井市には昭和57年に全国地方銀行協会研修講座で出会ったF銀行のMさんが住んでいます。お互いOBになりましたが32年間年賀状のやりとりをして旧交をあたためています。数年前に福井市内で海鮮夕食をご一緒しましたが、今回はMさんのご自宅で夕食をご馳走になり東尋坊の民宿では話が尽きない楽しいひとときを過ごせました。2泊3日の旅に自家用車で案内いただき、有名なソースカツ丼や“からみ蕎麦”をご馳走になり丸岡城・永平寺・東尋坊見学とすっかりお世話になってしまいました。地元名産のお土産も沢山頂戴し持ちきれませんでした。冬場では曇りが多くなかなか見られない東尋坊の夕陽も見られラッキーでした。(撮影日 H26.1.24)
103 松代城(長野県松代町)
松代城は戦国列強の北信濃支配の拠点であった。1558年(永禄1年)武田信玄の命で山本勘助が“海津城”を築城したのが始りで川中島合戦で武田の前線基地として役割を発揮した。その後、織田家、上杉家、豊臣家の領有を経て徳川親藩・譜代が治め最後は真田信之が上田城から移封し10代、約250年間を統治し幕末を迎えています。城郭は千曲川を自然の要害として築かれ石垣造りの本丸と土塁造りの二の丸、三の丸からなっていた。現在は本丸を囲む石垣と内堀が整備され、平成16年に太鼓門、前橋、北不明門が復元されて見学できます。城下には真田新御殿、武家屋敷、文武学校など旧跡を偲べます。(撮影日 H25.12.22)
123 白銀の宝剣岳と絶景(長野県駒ケ根市)
中央アルプス駒ケ岳ロープウエーに乗り約7分で千畳敷ホテルに到着します。そこは別世界、白銀の千畳敷カールに宝剣岳が美しいですね。終日おだやかな天候にめぐまれ南アルプスの甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、塩見岳そして富士山の雄姿を心ゆくまで見ることができました。暗くなると伊那谷の夜景が宝石のように浮かび、宝剣岳を背景に星空撮影も感動的でした。翌朝は富士山から太陽が昇るダイヤモンド富士も撮影できまして、ラッキーな正月でした。(紹介写真は宝剣岳と星空、次ページ5枚はカール雪渓、南アルプス連峰、伊那谷夜景、ダイヤモンド富士です。撮影日 H26.1.3・4)
215 佐賀城(佐賀県佐賀市城内2-18-1))
天保9年(1838年)再建の巨大な「鯱の門」(国重要文化財)をくぐると、立派な城郭建造物を期待しますが平成16年に復元された本丸御殿のほかは天守台と部分的に石垣や土塁が残っているだけでした。鍋島家は江戸初期から幕末・維新まで続き、いち早く近代化を進めた10代藩主鍋島直正(佐賀の七賢人)が有名です。明治7年・佐賀の乱で城郭の大部分が焼失したのが残念です。しかしながら佐賀からは有為の人材を数多く輩出し日本の近代国家づくりに貢献しました。再建の本丸御殿は御玄関、御式台、御料理間、外御書院、御座間等からなり、県立佐賀城本丸歴史館として貴重な資料が展示してあります。(撮影日 H22.1.31)
298 ライトアップ袋田の滝(茨城県大子町)
日本三大名瀑(他に華厳の滝、那智の滝)の一つで知られるこの滝は高さ120m、幅73m、四段に落下するところから別名四度の滝とも呼ばれています。しばらく晴天が続いたため水量が少なく迫力は今一つでしたが、闇に浮かぶ幻想風景に見とれてしまいます。静寂に滝の音と音楽の音色が響くなか赤や青、紫のライトが30パターン次々と照らし出し色彩の変化は最高潮です。来年2月11日までの金・土・日曜と祝日の日没から午後8時まで点灯しています。(撮影日 H25.12.15)
唐津・肥前名護屋・島原城 190 肥前名護屋城(佐賀県唐津市鎮西町)
豊臣秀吉が朝鮮出兵の本営として天正19年(1591年)築城した。
本丸から玄界灘の絶景が広がる、東松浦半島北端に築かれました。城域は約17万㎡に及び大坂城に次ぐ広さを持ち金箔瓦を使用した五重天守も建てられたという。戦の最中に秀吉が亡くなり、撤兵終結後は廃城となり石垣の破壊や“唐津城”に用材を転用するなどで荒廃が進んだ。豊臣家の栄華・存続が傾く切っ掛けの無謀な出兵であり、天下分け目の“関ヶ原の戦い”で豊臣系大名が二分してしまう結果となり、豊臣滅亡の伏線となった。崩落が著しい石垣を見ていると無常観と哀愁が胸に迫ってなりません。(撮影日 H23.12.4)
112 奥祖谷二重かずら橋(徳島県三好市東祖谷菅生620)
四国の霊峰・剣山(1955m)の頂上でご来光を拝んだあと、牛の背に似た稜線の次郎笈(じろうぎゅう1929m)をへて、上ったり下りたりして約7キロを歩き紅葉が見頃の“奥祖谷かずら橋”に着きました。剣山源流の祖谷川の清流に「しらくちかずら」で造った男橋と女橋がかけられてます。その昔、平家の落人が源氏の追手を防ぐため、いつでも切り落とせるように“つり橋”としたようです。今は3年に一度は掛け替えているそうです。周辺は渓流沿いにブナ原生林が美しく野鳥、虫の音、新緑や紅葉が満喫できる自然公園となっています。(撮影日 H25.11.2)
029 大垣城(岐阜県大垣市)
関ヶ原の戦いで石田三成の西軍本拠地となった大垣城。かつて外観四重の天守は国宝に指定されていたが昭和二十年の空襲で焼失し、現在は昭和三十四年四月に復興天守と隅櫓が竣工し城跡は大垣公園として市民の憩いの場となっている。関ヶ原の東方10㎞、西美濃平野のほぼ中央に位置する平城で北に東山道、南に東海道や美濃路が走る交通の要衝にある。市街化が進み狭い本丸と少量の石垣残骸が僅かに面影を感じさせ、城郭の規模や縄張り等は絵図や古写真で想像するしかない。近くの水門川ほとりには俳人・松尾芭蕉、奥の細道結びの碑がある。(撮影日 H25.9.15 関ヶ原合戦当日)
107 錦秋の八甲田山
10月4、5日と日本百名山の八甲田山・大岳(1584m)に登頂し360°の大パノラマを満喫し下山途中の“毛無岱(けなしたい)”と呼ばれる湿原の草紅葉と錦秋の紅葉に感動してきました。台風一過の晴天に恵まれ、4日は“岩木山(1624m)”に登頂し、宿は“ヒバ造りの千人風呂”で有名な酸ヶ湯温泉で山旅の疲れを癒しました。八甲田大岳からの眺望は素晴らしく北に青森市街や陸奥湾、下北半島が見渡せ西には昨日登った岩木山がドンと鎮座し、南西には遠く鳥海山そして南東には岩手山の山塊が望めます。写真は上毛無岱から下毛無岱への木道からの展望です。(撮影日 H25.10.5)
058 熊本城(熊本県熊本市本丸町)
名城の中でも“姫路城”は優雅で女性的だが、熊本城は重厚で敵を寄せ付けない“男っぽい城”である。前者は大坂落城後に再嫁した“千姫”が居住した雰囲気を感じさせます。後者は築城名人“加藤清正”の「清正流石垣」が堅固で鉄壁の巨大要塞を誇っています。大天守と小天守は西南戦争で西郷軍に包囲された、明治十年二月二十二日の3日前に謎の焼失をしており昭和35年に鉄筋コンクリート復元されました。近年、本丸御殿が復元し華麗な“昭君の間”も見所です。しかし、この城は石垣が一番の見所であり人力で築城したとはとても思えません。歴史の裏面を考えると謎が多く想像力が広がります。(撮影日 H23.11.15撮影)
056 日本一の富士山に登りました
先ずは登山の感想:真夏でも涼しく寒い。登山者が多く渋滞気味で進まない。外国人登山者が多い。小銭、お金がかかる⇒トイレ1回200円頂上は300円、ペットボトルの水400円。山小屋で眠れない⇒寝袋1枚のスペースでは寝返りもトイレに行くにも困難、休憩・談話室などもなく狭い寝床に横になるしかない。山小屋の食事⇒止むないが質素、旨くない。雨具は必携、でも降られたら最悪、乾燥室もなく低体温症防止にも着替えも必携。各自で行動食を携帯していくことがベスト。それでも山上からの絶景、夜景、満天の星空、朝焼けからご来光の感動を肌で感じると疲れも山小屋の苦痛も消えてしまいます。やはり、日本一の富士山は高いし大きかったです。
(H25.8.24~26日 吉田口登山 山小屋2泊)
187 萩城跡(山口県萩市堀内)
毛利輝元は関ヶ原の敗戦で中国九ケ国(120万5千石)の太守から防長二国29万8千石に減封され、徳川家康の命令で山陰の寒村「萩」に築城した。負けたとはいえ長州人の徳川氏への怨念は深く、幕末になり薩長連合が成立すると一気に歴史の舞台に登場し明治維新の立役者達が活躍した。城下町を歩くと高杉晋作や木戸孝允、伊藤博文などの旧宅、武家屋敷が保存されており歴史ファンで賑わっています。日本の中心地からは遠く当時は僻地といえる萩から多くの志士が輩出し維新パワーを発揮したことに不思議な気がします。城郭は天守石垣や枡形石垣、内堀、中堀の一部が残っています。また、背後にある指月山上の「詰の丸」跡も石垣、土塁が見所です。(撮影日 H22.5.25)
037 立山パノラマトレイル(日本百名山:富山県)
長野県大町から扇沢でトロリーバスに乗り黒部ダムを経てケーブルカーとロープウエィ、再度トロリーバスを乗り継ぎ室堂ターミナルに着きました。すぐ目の前には残雪の立山連峰がどっしりと連なり
山容の新緑と雪のコントラストに目を奪われます。一日目は濃紺の湖面に“雄山”が映る“みくりが池”周辺を散策し、お花畑を楽しんで温泉のある「雷鳥荘」に宿泊しました。二日目は曇り時々晴れのコンデションで雄山(標高2992m)に登頂し頂上の峰本社で神主によるお祓いを受けました。多くの登山者で混んでましたが富山の小学生が団体登山で来ていました。休憩後、大汝山(標高3015m)、富士の折立(標高2999m)を縦走し黒部湖や後立山連峰、大雪渓のパノラマを楽しみ真砂岳へ縦走中、雷雨が強くなり山岳ガイドの判断で急きょ下山しました。それでも雷のおかげか“雷鳥”親子にも会えてラッキーの山旅でした。(撮影日 H25.7.26~28日)
520 近世城郭初の海城「高松城(香川県高松市玉藻町)」
織田信長の寵愛をうけた「吉乃(信忠・信雄・徳姫の生母)」の実家である生駒家の当主、「生駒親正」が讃岐一国の領主となり天正15年(1587年)に築城した海城である。4代続いた後、寛永19年(1642年)水戸光圀の兄「松平頼重」が入城し城内の改修や天守の改築を行った。松平家は11代続き慶応4年(1868年)戦火を交えず官軍に開城した。今は近代的な商業ビルやJR駅が隣接し、南蛮造りの天守閣や約20の櫓が並んでいた往時の面影はないが日本三大水城(高松城・今治城・中津城)の一つに数えられている。瀬戸内海の穏やかな海辺に“着見櫓”、“多門櫓”、“水門”、“艮櫓”が現存(国の重要文化財指定)しており天守台の石垣は修理中。地元では天守閣復元を目指している。
060 展望と高山植物の名峰「北岳」(山梨県南アルプス市)
南アルプスの人気ナンバー1の理由は、富士山に次ぐ日本第二の高峰(標高3193m)であり、“キタダケソウ”を筆頭に高山植物が咲き乱れるお花畑が楽しめ、そして北岳バットレスの雄大な岩陵に魅力を感じるからからでしょうか。登山道は長い急登がつづき、雪渓や岩場もありスリルと変化を堪能できます。6月28、29、30日と“白根御池小屋”、“北岳肩の小屋”に泊り、ゆとりのある登山を楽しんできました。幸いにも天気に恵まれ黄、白、紫色などの可憐な高山植物を鑑賞し「雷鳥」にも出会いました。早朝は肩の小屋からの雲海に浮かぶ富士山や名峰のシルエットは言葉では表現できない素晴らしいものでした。(撮影日 H25.6.29~30)
掛川城 003 出世城「掛川城(静岡県掛川市)」
戦国時代に駿河守護の今川氏親が朝比奈泰熈に命じ、永正九年(1512年)標高50mの竜頭山に城を築いたのが始り。天正18年(1590年)山内一豊が六万石で入城し、城を本格的に整備し「東海の名城」と称賛されたほどの堅城を築き上げた。天守は二度の地震で倒壊し現在の天守は平成6年4月、市民と有志の寄付金により日本初の木造復元天守(三層四階)が再建された。見所は現存する“二の丸御殿”(国重要文化財)があり七棟二十部屋、近世の代表的な書院造りです。おしどり夫婦“一豊と千代”がヘソクリで名馬を買ったり、関ヶ原の戦に掛川城を徳川家康に提供するなど功績で土佐高知へ大大名と出世を遂げた物語は有名です。
121 ミヤマキリシマ群落の九重連山(大分県玖珠郡九重町から竹田市)
6月1日から3日まで“法華院温泉山荘”に2連泊しミヤマキリシマが咲き誇る「大船山(1787m)・平冶岳(1643m)・中岳(1791m)・久住山(1787m)」に登ってきました。あいにくの梅雨入りで2日間は雨、3日目下山の昼ごろから快晴となりましたが絶景ポイントはレンズに雨滴がつきボケ気味でした。山頂からの大パノラマも久住山から阿蘇・普賢岳等が雲海に浮かぶ一瞬を見ただけでした。錦秋や残雪の展望も素晴らしいので、再度チャレンジしたいと思います。なお、“法華院温泉山荘”は温泉に入れて飲料水も豊富、水洗トイレと乾燥室も利用できる快適な山小屋でした。(撮影日 H25.6.2)
141 播磨の小京都「龍野城」(兵庫県たつの市龍野町上霞城)
約500年前、標高210mの鶏籠山に播磨の豪族、赤松村秀が山城を築城したのが始り。4代続いた後、天正5年(1577年)豊臣秀吉に開城し山麓の平山城となった。“蜂須賀正勝”や“福島正則”など数回の城主交代をへて、寛文12年(1672年)脇坂安治が3000石で入封し以後10代続き明治維新に至りました。主な遺構は石塁、再建御殿、多門櫓、隅櫓、埋門があります。童謡〝赤とんぼ〟のふるさとで有名です。過去に鉄道を拒否した結果、町が発展せず結果的には入り組んだ路地や古い町並みが残っており風情ある町となっています。
057 奥日光「社山」のアカヤシオと眺望(栃木県日光市)
いろは坂を上り中禅寺温泉から中禅寺湖を眺めると、対岸に三角でピラミッドのように聳える山が「社山」です。標高は1827mで比較的楽に登山を楽しめます。「立木観音」から中禅寺湖南岸を「イタリア大使館別荘祈念公園」を経て八丁出島、阿世潟と約1時間ほど歩くと登山口です。だんだんと急斜面になり阿世潟峠から山頂をめざします。このあたりから、男体山を主峰に日光連山や中禅寺湖、日光白根山、足尾の山々の眺めがよくなります。眺望と共に赤ヤシオツツジが満開で空の青さに一層きわだっていました。頂上にはアズマシャクナゲの大群落がありましたが、まだ咲いていませんでした。
展望を十分に満喫し下山しましたが、秋には紅葉時の絶景美を楽しみたいと思います。(撮影日 H25.5.12)
645 国史跡志波城跡・古代公園(岩手県盛岡市下大田方八丁)
古代陸奥国最北、最大級の古代城柵「志波城」は今から約1200年前の平安時代803年(延暦22年)に、征夷大将軍・坂上田村麻呂によって造営されました。当時、エミシと呼ばれていた東北地方の人々を朝廷が統治するために設置された行政府(役所)で中世以後の戦国時代には“城”が造られますが、その原型となるものです。遠くに名峰「岩手山」を望み、高さ11メートルの外郭南門、全長252メートルの外郭築地塀、櫓、政庁などが広大な敷地に復元整備してあります。戦国末期の堅固な城郭からタイムスリップして比べてみるのもおもしろいです。(撮影日 H23.4.4)
139 吉野千本桜(奈良県吉野町)
世界遺産登録にもなっている金峯山寺“蔵王堂(国宝)”は日本古来の山岳宗教の総本山であり、吉野山は修験道の聖地です。後醍醐天皇や楠正行、源義経と静御前、豊臣秀吉の花見など歴史の舞台としても有名です。また、松尾芭蕉や西行法師などの歌人にも愛され秀逸な作品を多くのこしています。「これはこれはとばかり花の吉野山」の句の通り、全山桜で覆い尽くされた景観に昔から多くの人々に感動を与えています。約3万本の桜が咲き乱れますが多くは、白い花びらのシロヤマザクラです。今年は気温が暖かく満開のピークが過ぎてしまい、超絶景はお預けとなりました。(撮影日 H25.4.14)
544 雪化粧の弘前城(青森県弘前市)
“雪灯籠まつり”雪景色の古城と雪灯籠の錦絵が浮かんだ幻想的なロケーションを堪能してきました。津軽統一を遂げた津軽為信の二代目藩主・信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)に築城し以後廃藩に至るまで260年間、津軽氏の居城でした。外濠、中濠、内濠が残っており五つの城門、三つの隅櫓が現存し重要文化財に指定されています。五層の天守が寛永4年(1627年)に落雷で焼失したあと、文化7年(1810年)に九代藩主寧親(やすちか)が三階隅櫓を天守にみたてて再建したものです。東北地方に現存する唯一のもので重要文化財指定です。2600本余りの桜満開時が最高ですが花弁が散り始め濠いっぱいのピンクのじゅうたんは実に感動モノです。白銀の静寂につつまれた古城も又格別で酒杯をあげたくなりました。(撮影日 H25.2.9~2.10)
526 “雪灯籠まつり”の弘前城
東北冬の風物詩として市内外から多くの観光客が来ています。この冬は例年以上に降雪が多く、足元は危なかったですが昼も夜も最高の景色を満喫できました。特に弘前ねぷた祭りの絵柄が雪灯籠に灯るとお城のライトアップとマッチして感動の一幅をみせてくれました。また本丸城壁からは眼下に約300基のミニカマクラがローソクの灯をともし、北の郭では数多くのキャンドルが灯り、LED電球の赤・青・黄が白銀に彩りをつけるとファンタジーの世界が出現しました。(撮影日 H25.2.9~2.10)
033 津城(三重県津市丸之内27)
織田信長の弟信包(のぶかね)が安濃川・岩田川の三角州に1571年(元亀2年)築城を開始、安濃津城(あのつじょう)と称した。関ヶ原の戦いの後、1608年伊予今治から藤堂高虎が入封し以後、藤堂家11代で明治維新に至る。現在、城跡は本丸、西の丸、石垣、内堀の一部が残る公園になっている。平城のため城の周りは埋め立てられ市役所や裁判所、住宅に取り囲まれて往時の面影が少なく残念です。しかし築城名人が改修、城下町も整備し石垣からは今治城を彷彿させる雰囲気がいっぱいです。信包時代は五重の天守が建っていたが関ヶ原の戦いで焼失し、その後は再建されなかった。昭和33年本丸跡に三重隅櫓が模擬復興されました。(撮影日 H24.12.22)
179 第64回さっぽろ雪まつり(札幌大通公園 会期:2/5~2/11)
2月7日(木)仕事を終えて、宇都宮発20:29分の北斗星で札幌へ向かいました。到着は大雪の影響で大幅な遅れとなり、凍って滑りやすい大通公園会場は雪が降ったり止んだりと雪国生活の大変さを実感しました。それでも大勢の観光客が来ており、混雑していました。大雪像はテレビ塔から順に見ていくと「氷の国~白き翼のプリンセス」、「伊勢 神話への旅」、「中正紀念堂(台湾)」、「ワット・ベンチャマボピット(大理石寺院)」、「歌舞伎座」、「ちびまる子ちゃん」その他の中雪像、小雪像、ジャンプ台など見所がいっぱいです。北海の豊富な食材にも大満足で夜の更けるのも忘れて写真撮影を楽しみました。(撮影日 H25.2.8)日)
160 忍者の里「伊賀上野城」(別名~白鳳城 三重県伊賀市上野丸の内)
徳川家康が築城の名手、藤堂高虎に命じ豊臣秀頼との戦いに備えて築いた“高石垣”が圧巻です。城郭自体は大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡したため役割の重要性を失い未完成で終ってしまいました。三重三層の木造復興天守は昭和10年個人の私財で建てられたものです。
特に天守閣格天井には〝横山大観〟“河合玉堂“”堂本印象”ほか有名人46枚の大色紙が飾られており必見です。伊賀は俳人・松尾芭蕉の生誕地であり、伊賀焼を鑑賞したり落ち着いた古い街並み城下町の散策は最高です。また、日本三大仇討ちの一つに数えられ城下の西方にある「鍵屋の辻」で剣豪・荒木又右衛門が助太刀し見事本懐を遂げた決闘地や“伊賀忍者からくり屋敷”、忍者ショーなど楽しめます。(撮影日平成24年12月24日)
006 《初詣》東京スカイツリー・東京タワーからの眺望
新年を迎えた1月6日、東京浅草の観音様へ初詣してきました。スカイツリーの相乗効果もあって観光客も多く大変な賑わいでした。スカイツリー350mにある天望デッキからは富士山や日光連山、東京湾羽田空港からの離発着機が望め360度の素晴らしい眺望でした。“東京ソラマチ”はデパートが数件入ったような雑貨から生鮮食品や衣料、貴金属といったショッピングが楽しめます。東京タワーは夕方になり、遠くに夕焼けの富士山が展望できたり、ビル街の夜景特にスカイツリーとレインボーブリッジのイルミネーションが綺麗でした。この次はスカイツリーの展望回廊からの夜景を見に行きたいと思います。(撮影日平成25年1月6日)
004 関東の抑えの城「甲府城」(山梨県甲府市丸の内1-5-4)
別名(甲斐府中城・一条小山城・府中城・舞鶴城)。武田氏滅亡後、甲斐を領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し1583年(天正11年)徳川家康が築城した。甲府市中心部にあるため都市化が進み、JR駅の開業等により広大な城跡が分断されて一部の遺構が残っているのみである。本丸、天守曲(くる)輪(わ)及び天守台、稲荷曲輪、鍛冶(かじ)曲輪の石垣、一部の堀が見所であり特に高石垣は東日本最大級といわれ重量感あふれる野面(のづら)積み石垣は圧巻です。主要な城主としては徳川綱吉の側用人(そばようにん)から大出世した柳沢吉(よし)保(やす)がいます。
107 零戦来日エンジン始動~「日本航空技術100年展」
埼玉県所沢市の県営所沢航空記念公園にある「所沢航空発祥記念館」に本物の零戦が来ています。1944年6月にサイパン島で米国海兵隊に捕獲された機体で、「栄21型エンジン」を搭載した当時のまま現存する飛行可能な世界で唯一の零戦52型機です。普段はブレーンズ・オブ・フェーム航空博物館(米国)に展示中ですが、東北震災復興の友好協力の一環として来日・特別展示され“エンジン始動デモンストレーション”もあって大勢のファンが集まり大盛況でした。開戦当初は無敵を誇った栄光ある世界の名機でしたが、最後は特攻機として多くの若者とともに散って行きました。(展示期間:平成24年12月1日から平成25年3月31日まで。エンジン始動見学は平成25年3月30日と31日。一日3回のみ)詳細は記念館ホームページで確認してください。〈撮影日H24.12.1〉
028 奥州屈指の堅城「会津若松城」(福島県会津若松市)
戊辰戦争で攻防戦の舞台となり“白虎隊”の悲話で有名です。歴代の城主は1384年に芦名直盛の築城から蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明、徳川家康の孫・保科正之(松平氏)と引き継がれ名将・有力大名が領主であった。東北地方屈指の名城といわれ、幕末の戊辰戦争では新政府軍との戦いで1か月も籠城に耐え城の堅牢ぶりを見せつけました。白亜五層五階の天守閣は鉄筋コンクリート造の再建ですが2年前に赤瓦に葺き替えられて、四季折々に美しいシルエットが楽しめます。また城内は味わいのある石積みが多くあり、特に廊下橋門の堀に築かれた高石垣は見事です。平成25年大河ドラマ「八重の桜」の主人公に会津藩士の娘で、同志社大学創始者・新島襄の妻「新島八重」の物語が今から楽しみです。(撮影日H24.11.4)
085 薩摩富士「開聞岳」からの眺望(鹿児島県指宿市)
標高924mと低山ながら秀麗な円錐形をした独立峰で日本百名山のひとつです。前日は休暇村の砂風呂でリラックスして11月14日、朝8時30分から登山ガイドの案内で30名のツアー登山出発しました。らせん状の登山道は整備されていますが火山砂礫で歩きづらい個所が多いです。登り始めから鬱蒼とした樹木が続き7合目あたりから紺碧の太平洋が地平線まで展望できました。9合目からは岩肌の登りでスリルを味わい約3時間で頂上に着きました。岩だらけの狭い山頂から360°の眺望は素晴らしく太平洋の海原、巨大ウナギで有名な池田湖、長崎鼻の半島など十分に満喫しました。(撮影日H24.11.14)
掛川城 062 臼杵城(大分県臼杵市臼杵丹生島91)
戦国時代の一時期、北九州に勢力を誇った大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島(にうじま)に弘冶2年(1556年)築城した海城です。断崖絶壁で四方を海に囲まれ防御されていたが、今は埋め立てられ陸続きとなり人家も建ち並び昔の面影は見られない。本丸、二の丸、空掘、石垣等が残っており往時を偲ばせる。天正14年(1586年)薩摩の島津軍に攻められたがポルトガルから輸入した大砲「国崩し」で撃退したといわれている。また、明治10年(1877年)の西南戦争で旧臼杵藩士800名が薩摩西郷軍と戦ったが落城している。
220 北アルプス絶景紅葉「涸沢カール」
10月5・6・7日、日本屈指の紅葉名所「涸沢」を堪能してきました。一日目は上高地から約2時間の“氷壁の宿”「徳澤園」に泊り、二日目は横尾を経由して約4時間かけて「涸沢ヒュッテ」に到着しました。丁度、三連休が紅葉の見頃となり多くの人出で大混雑でした。売店では長い順番待ちの列に並びましたが、お目当ての生ビールと名物“おでん”も売り切れ缶ビールで我慢しました。4時には夕食、5時には横になりましたが1枚の布団に3人が寝る状況の貴重な体験でした。今回初めて軽量のミラーレスカメラを携行しアートシーン機能を試しました。目前に奥穂高岳、前穂高岳、涸沢岳、北穂高岳が迫り大雪渓と燃えるような紅葉のコントラストは言葉に尽くせません。
岩村城・苗木城 163 巨大な自然石の美「苗木城」(岐阜県中津川市苗木・瀬戸)
岩村城の支城のひとつ、遠山三人衆(岩村・明知・苗木)と呼ばれている。木曽川の北岸、標高433mの“高森山”にあり巨岩と石垣を巧みに構築し見事な景観をみせている。頂上の天守を模した巨岩からの眺望は素晴らしく眼下の木曽川が美しい。岩村城主“遠山景友”の次男“遠山直廉”が天文年間(1532~1555年)に築城した。直廉の正室は織田信長の妹で、のちに直廉の娘が信長の養女となり、武田勝頼に嫁ぎ嫡男“信勝”を生んでいる。戦国時代、織田・武田・徳川の三強の狭間で生き残る弱小豪族は逞しいと思います。山麓に「苗木遠山資料館」と駐車場、トイレがあり登城の道も整備されて楽に見学できます。(H23.7.10 登城撮影)
107 エゾリンドウの咲く“那須朝日岳”(栃木県那須郡那須町)
日本百名山“那須岳”の一峰で標高1,896m。主峰“那須岳”の北に位置し、山頂は風化と南面の爆裂火口跡が荒々しく鋭鋒で狭いが360度の展望が素晴らしい。登山道はガレキが多いが比較的、苦労しないで登頂できます。紅葉には一カ月程早いが登山道沿いに青紫の“エゾリンドウ”を楽しむことができました。健脚者には物足りないので、那須岳の最高峰“三本槍岳”(標高1,916m)まで登られることをお勧めします。(H24.9.9登山撮影) コース=峠の茶屋駐車場~峰の茶屋跡避難小屋~朝日岳~清水平~三本槍岳(那須岳の最高峰標高1916m)~往路を戻る。万歩計18,155歩でした。
岩村城・苗木城 031 “女城主”悲哀の物語が残る「岩村城」(岐阜県恵那市岩村町)
日本三大山城の一つで標高721mにある最も高い山城跡。本丸虎口の石垣は“六段壁”の異名を持ち、本丸・二の丸・三の丸と重厚な石垣群は見応え十分です。戦国時代は武田、織田の攻防が繰り広げられ、1571年城主(遠山景任)病死の後は織田信長の五男(坊丸)を養子に迎え景任夫人の“おつや方”(信長の叔母)が女城主として差配を振るった。その後、武田の武将“秋山信友”に攻められ夫婦の条件で開城し武田側となった。信玄没後、長篠の戦で勝頼が大敗した後は信長が優勢となり岩村城もついに落城し、“おつやの方”と信友は“逆さ磔”で落命した悲哀物語が伝承しています。(撮影日H23.7.10)
280 出羽富士“鳥海山”(標高2236m・山形、秋田県境)
真夏の太陽と澄んだ青空に恵まれた8月4~6日(二泊三日)登山してきました。7月29日(日)にも”足慣らし”と思い、標高がほぼ同じ尾瀬“至仏山”に単独行し二週連続の美しい展望と“お花畑”が鑑賞できました。東北第二の高峰、鳥海山は日本で五本の指に数えられる高山植物(約200種)の宝庫といわれ、多種類の花の広々とした群落は素晴らしく筆舌に尽くせません。登山道は長く起伏に富み、火口湖や外輪山を望み雪渓や岩場を登ったりと山の醍醐味十分です。山頂からの日本海に沈む夕陽は絶景!、生ビール(一杯千円)が最高でした。(吹浦口登山コース、4合目にある国民宿舎大平山荘に1泊し早朝出発、山頂御室小屋に1泊し下山)。健脚者向きです。(撮影日H24.8.4~6日)
402 奥州の押え山形城(山形県山形市霞城町)
JR山形駅から徒歩10分の山形城南門から入城、櫓門跡の石垣と土塁、水濠が城の規模を想像できる。正門である二の丸東大手門は平成3年に復原された、優美で堅固な石垣の上に多門櫓を持つ独特な形式の枡形門である。本丸一文字門は石垣と木橋が完成し櫓門などの建物の復原が進められている。とにかく城域は広大で県体育館、武道館、県立博物館、市郷土館、市営野球場、ソフトボール場、野外音楽堂、児童文化センターなどで本丸跡が囲まれている。かつての城跡を偲ぶような雰囲気、環境は失われてますが名将・最上義光(よしあき)57万石、鳥居忠政24万石、保科正之20万石などの城主達が山形の隆盛、発展に貢献したのである。(撮影日H24.6.24)
025 霧降高原ニッコウキスゲ(栃木県日光市所野)
かつて霧降スキー場がありリフトも第一から第四まで営業していたが廃業して約2年になります。リフト運転中はニッコウキスゲの群落が足元に広がり楽に見学ができました。久しぶりに登山装備で訪れましたが遊歩道は整備され階段状の木道をのぼりながら絶景を堪能しつつ海抜1450mのキスゲ平まで楽にあがれました。ここから関東平野が一望でき、今日の雲海も絶景でした。登山口に新築された休憩ハウスに展示してあった約50年前のキスゲ平のモノクロ写真は一面のキスゲで見事でした。現在はシカの食害等で激減し絶滅の危機から環境保護に全力を尽くしているとのことです。(撮影日H24.7.8)
019 三匹の鯱がある三階櫓「新発田城」(新潟県新発田市大手町)
当時、周囲が湿地帯で“あやめ”がたくさん咲いていたことから「菖蒲城」、また本丸が舟のような形をしているので「舟形城」とも呼ばれていました。現在は陸上自衛隊が駐屯地として城域の大半を使用しているため「戦国自衛隊の城」という愛称が増えているようです。現存する本丸表門と旧二の丸隅櫓が国指定の重要文化財であり、白と黒の美しい“なまこ壁”になっています。また“切込みはぎ”の石垣は見応えがあります。全国でも唯一の鯱三匹が乗る三階櫓と辰巳櫓は平成16年に復元されました。地元住民や城ファンの切なる願いは自衛隊の移転による城域の回復、保存にあります。(撮影日H24年6月22日)
219 国指定名勝「鶴舞庭園」(かくぶ)・「清遠閣」(山形県酒田市)
本間家4代光道が文化10年(1813年)、庄内藩主酒井候を領内巡視の際にお迎えするために築造した別荘です。鳥海山を借景にした回遊式庭園は諸国の銘石や小豆島の御影石の灯籠に松・檜の木立、ツツジやもみじ等四季を通じて美しさを誇っています。いまの季節は目にしみる新緑・若葉と池の睡蓮・菖蒲が楽しませてくれます。建物は京風の精緻な造りで重厚な欅造りの階段と梅の透かし彫り欄間や北山杉一本道しの欄干・天井板も見所です。藩主のほか東宮殿下(昭和帝)もご宿泊され、以来、多くの貴賓・名士をお迎えしてきました。(撮影日H24年6月23日)
103 天下統一への最後の戦い「小田原城」
北条早雲から五代100年にわたり関八州に勢力を拡大したが、時勢を誤り豊臣秀吉に滅亡された。空濠と土塁に守られた「惣構え」は周囲3里(約12㎞)戦国史上最大の城域面積を誇る巨大城郭で難攻不落を誇ったが今は、昔日の面影もなく城の北西方、山間部に「小峯の大堀切」が残っており当時を偲べます。「石垣山一夜城」で有名な遺構のほうが城跡らしく楽しめます。天守閣は3層4階の江戸時代の外観どおりに昭和35年、復興した。昭和46年に常盤木門を再建し平成9年には銅門(あかがねもん)を復元し整備が進んでいます。江戸時代の近世城郭の復元であり中世城郭を期待していくと少しがっかりします。(撮影日H24.6.17)
022 あじさい・花菖蒲まつり「小田原城址公園」
小田原城の本丸東掘跡、朱塗りの常盤木橋が架かる菖蒲が見頃となり斜面のあじさいも盛りとなっていました。
梅雨の中休みを狙って訪れましたが色とりどりの“あじさい”がパッチワークの“じゅうたん”みたいできれいでした。花菖蒲は約8000株といいますが、咲いている数が少なく、ちょっぴり淋しい感じでした。まつり期間は6月9日から7月1日まで。(撮影日H24.6.17)
358 日本式城郭の最後の城「松前城」(別名 福山城)
松前は蝦夷地の入り口として、古くから開けた港町です。戦国時代末期に松前慶広が北海道南部の豪族を統一し、徳川家康から「蝦夷島主」と呼ばれ慶長5年(1600年)から6年かけて櫓三基の松前城を築きました。現在残る遺構は嘉永3年(1850年)から4年かけて造られたもので、ロシアの極東南下政策に対し幕府が軍学者市川一学を派遣し日本で最後の和式城郭となった。この城の特色は外国船の防備を主体として外壁に七門の砲座、城外に九砲台二十五の大砲を設置しており、建物の屋根は豪雪に備え銅ぶきでした。戊辰戦争では新政府についたため旧幕府軍に攻められ落城したが天守は残り、昭和24年に焼失後、昭和35年に鉄筋コンクリートで復興されました。天守の隣にある本丸御門は築城当時のもので国の重要文化財です。平和の今日、北海道の桜の名所として賑わっています。(撮影日 H24.5.6)
098 第41回 鹿沼さつき祭り(栃木県鹿沼市茂呂)
鹿沼土ブランドと全国一の、さつき生産を誇る本場の「鹿沼市花木センター」で恒例の“さつき祭り”が始まりました。会期は5/26(土)から6/4(月)までの10日間、全国各地の愛好家が丹精込めた名品を展示しています。また、全国から掘り出し物を目当てに連日賑わっています。初日の土曜の夜は花火大会で大いに盛り上がり、好天に恵まれ約18万人の人出で黒川河畔はごったがえしました。入場料無料の花木センターは“さつき”のほか草花、らん、庭木、造園、園芸資材など品数も豊富でガーデニングファンを楽しませてくれます。私も“岩松”の小盆栽と山野草を集めて悦に入っております。(撮影日 H24.5.27)
130 日本三大夜桜の「高田城」(新潟県上越市本城町)
徳川家康公の六男・松平忠輝公75万石の居城として1614年(慶長19年)に築城。娘婿のため伊達正宗公が天下普請の陣頭指揮をとり約4カ月で完成している。大阪冬の陣の直前でもあり、豊臣方や加賀「前田家」、出羽「上杉家」への押えとしても重要な城であった。しかしながら石垣は用いず、土塁とひろびろとした水濠が特徴です。天守閣もなく三階櫓(現在のは1993年に復興)のみだった。徳川幕府が盤石となり前田家とも縁戚後は城としての役割は変遷し「座敷牢」といわれミスを犯した大名の転封先としての意味合いが強かった。三大夜桜は他に円山公園(京都市)、丸山公園(長崎市)です。いずれが日本一が甲乙つけがたいですが弘前城や高遠城の夜桜も素晴らしいと思います。
057 福島の桃源郷「花見山公園」(福島県福島市)
東北自動車道を下りて福島中心市街地から南東、阿武隈川右岸の渡利地区の丘陵地中腹に圧巻の花見どころがあります。日本を代表する写真家の 故秋山庄太郎が“福島に桃源郷あり”と毎年訪れた花の名所で梅、桜、桃やレンギョウ、ハクレン、ボケ、ユキヤナギ、ロウバイ、サンシュウなど特に3月~4月は色とりどりに全山咲き競い素晴らしい眺めです。本来は花卉販売の個人所有者が公園として無料で開放していたものですが近年、あまりにも有名になり観光スポットになっています。満開の見頃では大勢の人が来ていますがウオーキング型の花見ができて健康上も最高です。
240 北陸の小京都“越前大野城”(福井県大野市城町)
織田信長の武将・金森長近が天正3年(1575年)に標高249mの亀山に築城。正室の“お福”は美濃・斉藤道三の娘で信長の正室“濃姫”の姉妹という話もあるが明らかではない。平山城のため城下町の眺望もよく、町からも天守閣が望まれて落ち着いた町並みと、よく調和している。現在の天守(鉄筋コンクリート造り)は昭和43年(1968年)旧士族の寄付により再建された。内堀・外堀は都市化が進み、ほとんど残っていない。また、越前朝倉家・一乗谷館が織田信長に攻められ灰燼に帰し“朝倉義景”が大野に逃れて自刃している。
263 桜満開の「東京スカイツリー」
東京の新名所が5月22日に開業です。建設中から連日、見物客やカメラマンで周辺は混雑していましたが桜満開に誘われて快晴の4月8日に行ってきました。浅草駅の周辺から隅田川堤、墨田公園と人にぶつかりながらも“桜とツリー”のビュウーポイントは素晴らしかったです。次は展望台からの美しい夜景を楽しみにしています。
163 鬼ノ城(岡山県総社市)
鬼城山(きのじょうざん)標高397mの山頂周囲を石垣・土塁による城壁が2.8キロも囲っている。築城は7世紀後半、大和朝廷が有力と伝えられている。唐、新羅の侵攻に備え築城したと考えられています。門は東西南北に4か所、排水機能を持つ水門6か所が確認されている。特に西門は2007年復元され、版築土塁や高い石垣で築かれた城壁には圧倒されます。また、城内には食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡や“のろし場”、水汲み場などが確認できます。眼下に広がる総社平野や晴れた日には瀬戸内、四国の山々など眺望絶景の古代山城もいいですね。
058 関東屈指の梅の里「吉野梅郷」(東京都青梅市梅郷)
例年30万人が訪れる“梅まつり”は2月18日から3月31日でしたが、今年は寒さで開花が大幅に遅れ4月になってから見頃を迎えました。JR青梅線日向和田(ひなたわだ)駅から二俣尾駅までの多摩川南側、東西約4キロメートルの地域に紅梅・白梅合わせて約2万5千本もの梅が咲きます。なかでも“青梅市梅の公園”は約120種1500本の梅が植えられた山の斜面や丘陵地を散策できます。梅のほかミツバツツジやサンシュウなどが彩り春爛漫でした。(4月1日撮影)
唐津・肥前名護屋・島原城 037 白亜の五層天守と“虹の松原”が美しい「唐津城」
唐津焼と“くんち”で賑わう城下町。古くから唐など大陸の窓口としての港・津で栄えました。玄界灘を臨み風光明媚な街並みは旅情緒が満点です。お城は唐津湾に面した小高い満高山にあり、五層五階の模擬天守(昭和41年完成)からの美しいパノラマは九州一を誇ります。豊臣秀吉の側近だった寺沢広高が慶長13年(1608年)に築城したもので近くにある肥前名護屋城の解体資材を利用している。天守を鶴の頭に左右の広大な松原が翼に見えることから、別名・舞鶴城とも呼ばれている。特に「虹の松原」は約100万本の黒松が群生し国指定特別名勝・日本三大松原に数えられています。(登城日・H23年12月3日)
061 《偕楽園の梅まつり》~茨城県水戸市
春の到来を告げる香しい梅いっぱいの偕楽園です。今年の開花は寒気が強く大幅に遅れましたが、今は南崖の早咲き紅白梅と“好文亭”の「一流」が見頃です。庭園内は約110種3,000本の梅があり満開時は見事な景観が堪能できます。1842年(天保13年)に水戸第9代藩主・徳川斉昭公が「衆と偕(とも)に楽しむ庭園として」開設したのが始まりで日本三名園(他に岡山の後楽園、金沢の兼六園)の一つににあげられています。
(平成24年3月11日撮影、梅まつり2/18~3/31まで)
唐津・肥前名護屋・島原城 316 ロマンが蘇る島原城
島原駅を降りると目の前に眉山や雲仙普賢岳、平成新山が迫り白亜の美しい島原城天守閣が見えます。有明海に面した島原外港も近く青い海原に囲まれた南国情緒ゆたかな城下町です。しかしながら、度々の雲仙岳の火山噴火災害に苦しみ領主の悪政に耐えかねて“島原の乱”の舞台となりました。一揆が蜂起し立て籠もったのは南部にある「原城」ですが、島原城も一揆軍の猛攻を受けましたが防御が堅く守り抜きました。堂々の南蛮型天守閣や櫓、塀などは昭和の復元ですが、お堀に面した“本丸”や“二の丸”の高石垣は重厚で立派です。また山麓に武家屋敷が保存されており道の中央には生活水路が流れ両側には石垣が廻り、当時が偲べます。(登城日H23年12月4日)
104 函館山の夜景・元町公園イルミネーション
1月19日仕事終了後、宇都宮発20:29分の寝台北斗星に乗って北の大地へ向かいました。函館には朝6:30分到着、朝市で美味しい海鮮丼を食べて早朝のベイエリア、赤レンガ倉庫群から元町教会や歴史的建造物を散策し夕暮れを待ちました。午後3時30分、函館山ロープウエイ山頂駅展望台から暮れゆく白一色の市街をうっとりと眺めていると橙色や白色の明かりがポツポツと灯り始め幻想的な世界に寒さも忘れ感動のひとときでした。きらめきのライトアップ教会や元町公園、八幡坂のイルミネーションもきれいでした。翌日は洋式城郭の「五稜星の夢」を五稜郭タワーからのライトアップを堪能してきました。
119 忠臣蔵の城~播州「赤穂城」(兵庫県赤穂市上仮屋)
年末・年始の定番娯楽劇となっている「忠臣蔵」は歌舞伎や映画、小説で毎年のように楽しんでます。しかし主な舞台は“江戸城の松の廊下”と「京都山科に隠棲した大石内蔵助の生きざま」そして、クライマックス「本所・吉良邸屋敷への討ち入り」がほとんどで地元・赤穂城の出番がありません。城は当時10の隅櫓、12の諸門を有し浅野家5万3千5百石の実力以上の規模と縄張りを感じます。天守台石垣は残っているが天守閣は作らなかった。江戸時代は塩田が広がり風光明美な豊かな領地であったことが想像できます。近年、発掘調査や石垣、本丸表門、大手門、隅櫓などが復元整備され歴史ブームの中、訪れる人も増えています。
IMG_0938 日本一の「富士山」(標高3,776m)
新しい年の始めの1ページ目は真っ白な雪景色の富士山が落ち着きます。旅に出て新幹線や自動車で富士山が見えるところに近づくと今日は見えるかなと期待し、見えると幸運の喜びとなります。四季を通して誰にも愛され、絵になる富士山。古来から多くの芸術家やアマチュア達が絵画や版画そして写真と名作を残しています。季節・朝夕・天候のタイミングで素晴らしい作品が期待できますが年数回の撮影では満足の写真は無理かもしれません。今年は富士山が展望できる登山を楽しみに計画しています。
馬籠・妻籠・香嵐渓・小原四季桜・足助城 237 足助城〈あすけじょう〉(愛知県豊田市足助町須沢39-2)
標高301mの真弓山山頂を本丸とした連郭式の山城です。発掘調査に基づき忠実に再現・整備された全国でも初めての試みの山城でもあります。質素な本丸や長屋、物見台、丸太の柵などが復元されて戦国時代の砦の雰囲気です。歴史的には岡崎の松平家(徳川の前身)から今川家そして武田家に隷属し、最後は家康の関東入国に従い足助城は廃城となり、その時代の強者に屈服せざるを得ない小豪族でした。本丸からの眺望もよく“紅葉の香嵐渓”とあわせてのハイキングは最高でした。(H23.11.23登城)
馬籠・妻籠・香嵐渓・小原四季桜・足助城 267 紅葉の香嵐渓・小原四季桜まつり(愛知県豊田市)
紅葉の京都は寺社・仏閣等の庭園、山河とマッチして最高の雰囲気で私たちを楽しませてくれますが、ここも素晴らしい景観美でした。東海随一の紅葉の名所であり約4,000本の“もみじ”が綾・錦の様は圧巻です。ゆったりとした巴川に沿って“もみじトンネル”を散策し、戦国時代の山城「足助城」まで登られるコースがおすすめです。ついでに足を延ばしたいのが春と秋に開花する「四季桜」の名所・小原(おばら)の里です。地区内のいたる所に分布し、約8,500本の桜が春と秋10月~12月に花を咲かせます。紅葉と桜の不思議な幻想美に心奪われること間違いありません。(H23.11.23撮影)
IMG_1666 奥州の関門「白河小峰城」
徳川幕府の命令で奥州の外様大名(伊達、上杉、佐竹など)に備えて丹羽長秀の長男、長重が改修して近世城郭を築いた。東北では珍しい総石垣造りの城で盛岡城、会津若松城と並んで東北三名城のひとつです。天守の三重櫓は1991年に木造復元されたものです。北の防備に堅く南が弱体のため戊辰戦争では南から官軍に攻撃され落城、奥羽列藩同盟軍は北から攻略したが奪回に失敗している。見学は桜と紅葉時期がいいですが、今年3月の東北大震災で本丸の石垣が崩壊したので本丸周辺は立ち入り禁止となっています。
日光・紅葉・明智平 036 紅葉の日光「明智平山頂からの絶景」
覚悟してましたが、早朝から上り「第二イロハ坂」はノロノロ渋滞でした。時間が早いため明智平展望台からロープウエイ山頂駅まで徒歩で登り、更に尾根づたいに歩くと華厳の滝、中禅寺湖、男体山が一望できる絶景パノラマが待っています。昨日の雨上がりで沢に霧が流れ、雲海もきれいでした。下り「第一イロハ坂」からの紅葉も見事です。「霧降の滝」や「東照宮・輪王寺山内」、「田母沢御用邸」、「東大日光植物園」など紅葉の名所が沢山ありますので次回以降お楽しみにお待ちください。(10月23日撮影)
IMG_1895 畿内の要城・大和郡山城(奈良県大和郡山市)
大阪、京の防衛の要地に造られた城郭です。戦国時代の3人の英雄(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)が重要視して有力大名が歴代城主となっている。特に秀吉の弟“大和大納言秀長”が大改修に着手し巨大な近世城郭が誕生した。奈良は良質の石材が乏しく寺院の礎石・石仏や墓石、庭石等を石垣に活用している。籐堂高虎の城普請の特徴で水濠が広く鉄砲時代を反映して防御を厚くしています。遺構は水濠と壮大な石垣が見所で追手門と追手向櫓は復元です。
八幡平・弘前城 106 紅葉の八幡平・大沼(十和田八幡平国立公園)
10月10・11日、目の覚めるような紅葉の絶景を期待して“岩木山”と“八甲田山”、“八幡平”に行きましたが、8合目より上は深い霧と氷雨のため視界不良で残念でした。八甲田山ロープウエイからの展望は紅葉の「パッチワークじゅうたん」が綺麗でした。“八幡平アスピーテライン”からの紅葉は豪華絢爛の本当に素晴らしい景観でした。特に“大沼”周辺のミネカエデやイタヤカエデ、ブナ等の赤褐色・黄色の絶妙なバリエーションは錦秋の一幅の絵です。パークガイド誌によれば大沼の紅葉は決まって10月12日がピークになるとのことで、今日11日は晴天でラッキーでした。
金沢・七尾・高岡・富山城 328 越中「富山城」(別名:浮城・安住城)
戦国時代は佐々成政の居城であり江戸時代は富山前田家の居城として明治維新を迎えました。今は、昔を語る城郭として偲ぶものは一部の石垣と水濠しか見られない。越中の中心地にあった平城の運命で明治以降に破却、都市化が進み市民の憩いの公園になっている。しかしながら、水面に映る石垣と復元模擬天守はバランスの良い風景美です。滝廉太郎の「荒城の月」は大分県の“豊後竹田城”にブロンズ像とメロディが流れていて有名ですが、父の転勤で富山に住んでいたことがあり「荒城の月」の着想の元になっていると云われています。もちろん春は桜の名所として賑わいます。
御嶽山・千畳敷カール 274 紅葉の千畳敷カール(中央アルプス・木曽駒ケ岳)
10月1日~2日、木曽御嶽山と木曽駒ヶ岳をハイクしてきました。目当ての紅葉は千畳敷カールから上はピークを過ぎてました。ロープウエィ山頂駅から下は少し早かったものの快晴に恵まれて、きれいな山岳写真が撮れました。次の週が3連休でもあり肝心の紅葉が遅れているせいか混雑もせず、ゆっくりとカールを散策できました。日本一高い標高2612mのロープウエイ山頂駅まで60人乗りゴンドラで7分30秒の空中散歩は素晴らしい絶景パノラマでした。
金沢・七尾・高岡・富山城 071 加賀百万石の居城「金沢城」(通称~尾山城、金城)
白漆喰の壁と海鼠(なまこ)壁に白い鉛瓦が葺かれた外観、唐破風や入母屋破風の出窓が金沢城の特徴です。天守をはじめ主要な櫓、建物は火災で焼失し、現存の重要文化財(石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫)のほかは近年の再建で真新しい。それでも独特の景観が見事な“菱櫓”、“五十間長屋”“橋爪門続櫓”は城フアンには十分満足できます。残念ながら水濠は明治以降にほとんどが埋め立てられ道路になってますが、随所に石垣が残っており石垣の博物館として「石垣回廊コース」が整備されています。石川門は修理中(平成25年完成予定)でした。
金沢・七尾・高岡・富山城 053 特別名勝~金沢「兼六園」
金沢城「石川門」前のお堀通りにかかる石橋を渡ると兼六園である。総面積114,435.65㎡、樹木は183種類・8,750本あり、江戸時代の林泉回遊式大庭園の特徴を今に残している。加賀藩5代藩主の前田綱紀(つなのり)が1676年(延宝4年)に作庭したのが始まり。奥州白河藩主の白河楽翁(松平定信)が中国宋時代の詩人「李格非」の書いた「洛陽名園記」の文中から“宏大”“幽邃”(ゆうすい)“人力”“蒼古”“水泉”“眺望”の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名した。庭園内にある赤門の「成巽閣」(せいそんかく)は1863年に十三代藩主前田斉泰の母・真龍院の隠居邸として造営された御殿遺構であり、数寄屋書院建築の白眉です。
しづがたけ・伊吹山・彦根城 059 琵琶湖を一望する華麗な国宝天守~彦根城
8月7日早朝5時にホテルを出て散歩がてら、「駅前お城通り」から彦根城を目指す。通常の登城口である表門は閉まっており内堀沿いを一周しようと大手門橋までくると、ウオーキングの市民が通用門から入城していました。聞くとこの時間は西「大手門口」と東「黒門口」を無料開放しているとのことで、天秤櫓や太鼓門櫓を通って国宝天守へ向かい、誰もいない名城をゆっくりと撮影できました。桜と紅葉の季節と今回で4度登城しましたが、いつ来ても琵琶湖の碧い湖面を背景に白亜の天守が実に美しく徳川譜代筆頭の風格ある名城です。
しづがたけ・伊吹山・彦根城 129 山上お花畑巡り~日本百名山「伊吹山」
滋賀・岐阜県境を南北に走る伊吹山は標高1377m。多彩な花が咲くお花畑で有名です。草花1300種、薬草280種が数えられ、「イブキ」の名がついた花は20種以上あります。また1927年(昭和2年)、伊吹山測候所で記録された最深積雪11.82mは気象観測史上世界一だそうです。8月7日快晴・猛暑の中、伊吹山ドライブウエイで山頂直下へ、遊歩道から花を楽しみながら往復2時間ほど散策を楽しみました。山頂から360°のパノラマは素晴らしく、琵琶湖の竹生島や小谷城、関ヶ原古戦場などの眺望が絶景でした。見頃の花は濃いピンクのシモツケソウやコオニユリ、クガイソウ、白い花のノリウツギ等々が咲き乱れていました。
062 風光と海峡の道「明石城」別名・喜春(きしゅん)城
播磨と摂津の国境に近く、北は丘陵が海に迫り南は淡路島を指呼の間に望み、西国大名を扼する重要地に築城しています。一段と高い石垣上の長塀の白壁と三層の隅櫓が印象的ですが、左が坤(ひつじ)櫓で右が巽(たつみ)櫓です。天守台はありますが元和4年、太平の世で天守閣はつくられなかった。最近見た映画で明石藩の残虐な「人切り殿様」を誅罰する侍の物語がありましたが、事実無根とも言われてます。
尾瀬・岩村城・苗木城 274 夏の思い出~尾瀬
水芭蕉の咲く6月につづいて7月16・17日、鳩待峠から入山し山の鼻から竜宮をへて見晴し小屋に宿泊。翌日は沼尻からニッコウキスゲ満開の大江湿原へとハイクしました。7月は多くの高山植物が咲いていましたが名前が覚えられません。天気に恵まれ、しばし、快適な涼風の中雑事を忘れて自然を満喫してきました。
043 岡山城(岡山県岡山市丸の内)別名:烏城・金鳥城
昭和6年(1931年)に国宝に指定されていた天守が、昭和20年6月29日の空襲で焼失。現在は5重6階の外観復元天守で昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリートで再建されました。焼け残った“月見櫓”と“西の丸西手櫓”が国の重要文化財史跡となっています。主な城主は宇喜多氏、小早川氏、池田氏と戦国動乱時代に名を馳せた武将です。遺構は櫓、堀、特に高石垣は織豊系城郭の特徴であり見所の一つです。東の天然の堀とした旭川の対岸や三名園の“後楽園”からの天守閣の眺めがいいですね。
竜頭の滝・つつじ、湯滝 025 ミツバツツジの咲く竜頭の滝(栃木県日光市)
奥日光三名瀑の一つ、竜頭の滝は薄紅のトウゴクミツバツツジが名所です。6月5日(日)の早朝、6時30分には多くのカメラマンでいっぱいでした。撮影後は観瀑台にある茶屋でのモーニングコーヒーが最高においしかったですね。このあと“小田代が原”から“湯滝”をへてワタスゲが咲きだした“戦場が原”をハイキングしてきました。万歩計は22,800歩、早起きの一日は有意義にすごせますよ!。
高知・岡豊・宇和島城 176 宇和島城(愛媛県宇和島市丸の内)別名:鶴島城
“伊達十万石の城下町”と呼ばれ、かつては総廓の約半分が直接海に面する海城でしたが、現在は埋め立てられ市街地となり海から隔てられています。標高74mの山頂に本丸を置く典型的な山城です。見所は初代の築城名人・籐堂高虎による堅固な石垣群、宇和島伊達家2代藩主の宗利が寛文6年(1666年)に再建した現存天守で小さいが御殿建築の意匠が随所に見られ格式ある造りです。唐破風の玄関をもつ3重3階総塗籠式、層塔型の天守からは眺望が素晴らしい。
日光 075 絶景・アカヤシオ満開の明智平(栃木県日光市)
5月14日、快晴に誘われて新緑の「いろは坂」をドライブし、明智平ロープウエイーから展望台へ登ってきました。日光で1番の絶景ポイントであり、目前に“華厳の滝”、“男体山”そして紺碧の“中禅寺湖”が眺望できる素晴らしいロケーションです。約5分ほど尾根づたいの道を行くと、アカヤシオの群落ごしのパノラマは「絵はがき」の世界です。紅葉時もおすすめですね。
名古屋・浜松城 201 浜松城(静岡県浜松市中区)
若き日の徳川家康の野望とロマンが薫る浜松城は天下統一の足がかりとなった「出世城」です。三方ケ原台地の東南端に位置し駿遠経営の拠点でした。家康は29歳から45歳までの17年間を過ごし、姉川の合戦(29歳時)・三方ケ原の合戦(31歳時)・長篠の戦い(34歳時)・高天神城の攻略(40歳時)・小牧長久手の戦い(43歳時)など戦国史上、重要な戦いに浜松城から出陣しました。昭和33年(1,958年)、野面積みの旧天守台の上に模擬天守が再建されました。今は自然石を上下に組み合わせて積む堅固な野面積み石垣が昔を偲ぶだけとなっいます。
H23.5.8足利フラワーパーク 071 フジの名所「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市迫間町)
見頃は例年、5月の連休時期のため多くの人が訪れて大混雑です。今年は幾分遅れ気味で5月8日(日)頃が満開でした。パンフ表紙の“世界が息を呑んだ美しさ”は誇張でなく素晴らしいの一言です。園内には6種類、約300本のフジがあり特に4本の大藤は樹齢140年以上で紫色の長い花房カーテンが魅了しています。「むらさき藤」のほか、「うす紅藤」や「白藤」・「きばな藤」などが4月下旬から5月中旬まで次々と咲いて楽しめます。
IMG_1357 御三家・紀州徳川家の和歌山城(別名・虎伏城、竹垣城)
八代将軍・吉宗のふるさと和歌山市の中心、こんもり茂る虎伏山に和歌山城天守閣がそびえています。天正13年(1585年)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟・秀長に築城させたのが始まりとされており、その後、関ヶ原の戦いで軍功の浅野幸長が入り、そして元和5年(1619年)に徳川家康の十男・頼宣が55万5千石で入城し、以来、尾張・水戸と並び徳川御三家のひとつとして長い歴史を刻んできました。姫路・松山城とともに日本三大連立式平山城として有名です。遺構は石垣、堀をはじめ国の重要文化財指定の“岡口門”と土塀、追廻門が現存しています。天守閣は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造で外観復元されたものです。
妙義山さくらの里 009 妙義山さくらの里(群馬県甘楽郡下仁田町上小坂)
激しく浸食されたその特異な山容の妙義山は日本三大奇勝のひとつに数えられます。1983年(昭和58年)、ふもとに“さくらの里”が造成されソメイヨシノ、ヤマザクラ、オオシマザクラなど50種類約1万5000本の桜が咲き染まり、荒々しい黒の岩肌とピンクの花のコントラスト、スケールの大きさは見応え充分です。おすすめのアクセスは上信越自動車道の下仁田ICから国道254線経由で25分、途中に道の駅があり、山里をぬっての道々は桜・花モモや果樹の花々が美しい。帰りは妙義神社を参拝し松井田妙義ICから乗ると便利です。
P1000766 日本三大湖城・諏訪高島城(長野県諏訪市高島1丁目)
かつては城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから別名・諏訪の浮城とよばれ「諏訪の殿様よい城持ちゃるうしろ松山前は海」と唄われた名城でした。現在の城跡は、本丸部分が残っており昭和45年に天守閣、櫓、門、塀が復元されて市民の憩いの公園となっています。約400年前に豊臣秀吉の臣下、日根野高吉が27,000石で諏訪頼忠の後に入封し、諏訪湖畔に築城した難攻不落の水城でした。冬は水濠が凍り、雪化粧したお城の景色は最高ですね、これから春の桜に包まれたロケーションも格別のようです。
白川郷・五箇山・高山 130 白川郷合掌造り集落のライトアップ
1995年、白川郷と五箇山(富山県)の合掌造り集落が世界文化遺産に登録された。最近は四季を通じて多くの観光客が訪れています。豪雪に埋もれた原風景の集落を見てみたいと思って、ライトアップは1年で1月から2月のうち7日しか実施していないので、最後の2月19日(土)に訪れました。16時ごろ早めの夕食をすまして薄暮の集落へ向かいました。なんと“であい橋”たもとの駐車場には各地からの大型バスが数え切れず、つり橋を渡るのも大渋滞でした。集落の中も静かな雪に埋もれた里山風景は予想に反し、どこにもある観光地と同じ飲食店やお土産店が目立ち幻滅と怒りさえ感じました。撮影スポットの萩町城址展望台も鈴なりの人混みで順番待ちの大行列でした。それでも〝百聞は一見に如かず〟満足して帰ってきました。翌日の五箇山合掌集落の落ち着いた、たたずまいがよかったですね。
沖縄 世界遺産9か所 332 青い大海原が広がる「今帰仁城跡」(沖縄県国頭郡今帰仁村今泊4874)
話題沸騰の日本ハムファイターズの斉藤佑樹投手がキャンプインした名護市から約30分の沖縄本島北部の丘陵上にあります。築城は13世紀末ごろの山城です。慶長14年(1609年)、薩摩軍に攻められ炎上し廃城となりました。
見所は古期石灰岩を使用した曲がりくねった城壁が1.5㎞、当時のまま残っています。首里城に匹敵するほどの敷地を囲む城壁からは緑の木々と日本で一番早く見られる緋寒桜や紺碧の海が展望できます。平成12年に世界文化遺産に登録されました。
《緋寒桜》~別名、カンヒザクラ(寒緋桜)・バラ科サクラ属の落葉小高木。濃いピンク色の小花で花は開ききらず少しうつむき気味に咲くのが特徴です。
沖縄 世界遺産9か所 031 沖縄の世界遺産
1月でも赤や紫のブーゲンビリア、ハイビスカス、シャガ、ツワブキなどが街中や城跡に咲いています。次ページ写真は①ほとんどの家の屋根にあるシーサー②首里城の一角にある石門「園比屋武御獄石門(そのひやんうたきいしもん)」、国王が外出する際に道中の無事を祈願したところ。③玉陵(たまうどぅん)、琉球王国を3世紀半も統治した第二尚氏の歴代の国王を祀る墓。④識名園(しきなえん)六角堂、琉球王家の別邸で国王一族の保養や外国からの賓客の接待などに使われた。⑤斎場御獄(せいふぁーうたき)、歴代の国王から篤い尊崇を受けてきた聖地。王国時代は男子禁制の場所であった。
松山城・大洲城・内子 262 伊予大洲城 通称~比志城・地蔵が嶽城・大津城 (愛媛県大洲市)
肱(ひじ)川の流れに出張った丘に本丸・二の丸・三の丸と一二三段に曲輪を配した典型的な平山城です。天守は高さ19.15m、四層四階の複合連結式層塔型で平成16年に木造復元されました。現存4櫓(台所櫓・南隅櫓・高欄櫓・芋綿〈おわた〉櫓)は国の重要文化財に指定されており、野面積み石垣も見応えあります。主な城主は宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏とつづき、特に加藤六代藩主の泰?(やすみち)の末子(加藤舎人泰周かとうとねりやすちか)が1811年に我が郷土の栃木県は黒羽藩・大関家の養子に入り11代藩主大関増業(ますなり)として、「改革と学問に生きた殿様」の足跡が近年脚光を浴びています。また、増業の実兄も近接の喜連川藩に養子として迎えられており大洲とのご縁を感じています。
東照宮初詣 333 「元旦のライトアップ・日光東照宮」(栃木県 日光市)
平成23年1月1日0時から4時までの貴重な「陽明門」ライトアップです。年が変わって零下の森閑とした表参道に大勢の初詣参拝客が列をなしています。浮かび上がった朱色の五重塔は高さ約36m、1層目の塔正面に右から「寅」「卯」「辰」の十二支彫刻があります。初代徳川家康公の干支が「寅」、NHK大河ドラマの主人公「お江」の夫・2代将軍秀忠公は「卯」、3代将軍家光公が「辰」ということです。平和な世が引き継がれていくよう願いを込められたのでしょう。輪王寺三仏堂は現在修理中のため巨大なテントに包まれてます、名勝「神橋」のライトアップも幽玄美で印象的でした。
松山城・大洲城・内子 117 四国最大の名城「伊予松山城」(別名・勝山城、金亀城)
「松山や 秋より高き 天守閣」~正岡子規。和歌山城、姫路城と共に日本三大平山城の名城に数えられる。松山は四国で最大の都市・人口51万であり、日本最古の温泉「道後温泉」や夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台で知られている。正岡子規の句碑は市内の随所に設けられており“湯と文学とお城のある町、松山”に恥じない大きな魅力となっています。近年は小説「坂の上の雲」の秋山兄弟誕生地として司馬遼太郎のミュージアムや観光ルートも賑わっています。松山城は関ヶ原合戦後の慶長7年(1602年)加藤嘉明が築城開始、26年かけて完成。三重三層の現存天守は1854年に復興の重要文化財。攻守の備えを徹底した堅固な造りで典型的な連立式天守をもつ、我が国最後の完全な城郭建築といわれている。
丸亀・津山・鳥取・竹田・後楽園 139 紅葉の4城を訪ねて~丸亀城・岡山城・津山城・竹田城
お城に桜、松はピッタリの定番ですが、赤や黄色に染まった紅葉の城も見事です。今回は曇り、小雨で残念でしたが特に津山城の高石垣と“もみじ”の調和が美しく感動しました。津山城は“日本さくら名所100選”にも入っており、春にも行きたいと思います。《写真は津山城本丸の南面石垣ともみじ》、次ページの写真説明・左から①津山城本丸下、二の丸北面に連なるもみじ谷②津山城本丸の備中櫓(再建)③伊予丸亀城天守と石垣④後楽園からの岡山城⑤但馬の竹田城二の丸石垣と南千畳。
名古屋・浜松城 099 本丸御殿の再建進む〝金鯱(シャチ)名古屋城〟
《写真は南西方向より外観復元大天守》。大坂城、熊本城とともに天下三名城に数えられている。1610年から1614年に建築、御三家筆頭の尾張徳川家に相応しい巨城でしたが、残念にも昭和20年の空襲で天守閣や本丸御殿等が焼失し、今見る復元天守は昭和32年6月から34年10月の鉄筋コンクリート再築です。遺構の見所は現存する隅櫓、空堀、石垣、広大な水濠を含め全体の縄張りです。 《次ページ写真》左から①本丸をめぐる空堀と石垣上の現存・未申(ひつじさる)隅櫓 ②本丸巽(たつみ)現存・隅櫓 ③御深井丸(おふけまる)の水濠と現存・清州櫓のライトアップ ④本丸北側の水濠から大天守ライトアップ ⑤特別公開中の再建本丸御殿・玄関の一部
丸山高原・奥白根山 072 絶景!秋の日光白根山
栃木県日光市と群馬県利根郡片品村にまたがって位置する、標高2,578mの日本百名山のひとつです。関東以北で最高峰の大パノラマは実に素晴らしく、山頂からは360°の眺望で富士山や浅間山をはじめ谷川連峰、尾瀬の山々が眺められます。また、瑠璃色の神秘的な五色沼やコマクサ・シラネアオイ他、四季ごとに貴重な高山植物が咲く美しい山です。本格的な登山道は数ルートありますが、楽な日帰りコースとして丸沼高原スキー場からロープウエイーに乗って15分で標高2000mの山頂駅まで一気に登れます。そこから、山頂往復して約4~5時間ほどです。帰りに山頂駅近くの「天空の足湯」にて、疲れをほぐしましょう。おすすめは開花時期の6~8月と9~10月の紅葉時期がベストです。(登山日:平成22年10月11日快晴)
高知・岡豊・宇和島城 251 坂本龍馬を育んだ城下、高知城(通称~大高坂山城・鷹城)
竜馬ブームで熱気ムンムンの高知市街は観光客であふれていました。南国の陽光、青い海、青い山とマッチした高知城天守は3層6階、高欄廻り縁付きの望楼型独立天守です。また、天守に接続した本丸御殿が完全に残っているのは高知城だけです。天守と追手門がともに現存するのは当城と丸亀城、弘前城の3城のみです。1601年、関ヶ原の戦いで功のあった山内一豊が掛川城から土佐24万石に入部し本格的に築城したものです。現在の天守は火災後、1749年に再建したもので御殿・追手門など15の建物が国の重要文化財となっています。市の中心部に位置する平山城のため、市街化が進み〝お堀〟は一部が残っている。野面(のずら)積み石垣は扇の勾配が見事です。
004 四季の風景~那須フラワーワールド(栃木県那須郡那須町大字豊原 丙字那須道下5341-1  TEL0287-77-0400 )
澄みきった空気と青空そして大地。北海道の美瑛地区を思わせる花のパッチワークがここにもあります。那須連峰を背景にサルビア、マリーゴールド、ケイトウが色鮮やかに染まり、高原の風に揺れる様は万華鏡を見ているようです。見頃は8月から10月で、その後コスモスの花の世界に移っていきます。
338 天下無双の巨城・大坂城(大阪市中央区大阪城1番地1号)
細かな説明が無用なほど誰にも馴染みがあり、何度か行かれたりして知識が豊富なお城だと思います。戦国時代の信長、秀吉の波乱万丈の舞台であり徳川15代の栄華盛衰・幕末の戊辰戦争など数多くの歴史ドラマを生んでいます。特に“関ヶ原”から“大坂冬・夏の陣”での人間模様には興味が尽きません。一代目、太閤の城は落城・滅亡後に徳川幕府により土塁と巨大な石垣で地下に埋められ、今日見られる遺構は徳川時代のものです。しかし、築城10年後に天守は落雷で焼失し現在の三代目天守閣(鉄筋コンクリート)は昭和6年に大阪市民の寄付金により秀吉時代の天守を復興したものです。幸運にも太平洋戦争の戦火を逃れ、まもなく築後80年を迎えますが“太閤の夢の跡”にロマンを感じます。
282 四季の風景~ライトアップの大坂城
伊丹空港に着陸するため低空の大型旅客機が天守閣近くの上空を頻繁に飛行しています。赤や緑のランプが夜空に輝き尾を引いて浮かび上がった天守閣に彩りを添えて美しいですね。また、後方に高層ビル群を従えて時代の移り変わりを感じてしまいます。オールドファンしか知らないでしょうが、流行歌の“古城”(三橋美智也)にある歌詞のお城は、ここ大坂城を思い浮かべます。《甍(いらか)は青く苔むして古城よひとり何偲ぶ、栄華の夢を胸に追い、ああ仰げばわびし天守閣》。 天下人・秀吉辞世の句「つゆとをちつゆときえにしわかみかな なにわの事もゆめの又ゆめ」。
146 松江城(別名~千鳥城  島根県松江市殿町1-5)
宍道湖北畔、亀田山(標高28m)に桃山建築の粋が尽くされた、現存天守を有する山陰唯一の“輪郭連郭複合式”平山城であり優美で堅固な名城です。
慶長16年(1611年)出雲の領主・堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成した。天守閣は高さ30m、外観5層、内部は6階となっており下見板張りの壁や狭間、石落としなど実戦本位でどっしりとした安定感があり、荘重雄大な姿に魅了されます。
見所は重要文化財指定の天守閣、石垣、内堀(堀川めぐりの屋形船が有名)など、南櫓・中櫓・太鼓櫓の3基は平成13年の復元櫓です。
067 ハンターマウンテンゆりパーク(那須塩原市湯本塩原字前黒)
冬は白銀のゲレンデですが、夏は色鮮やかな50種類500万輪のユリのじゅうたんが圧巻です。標高1300mにあり、広さ約9万平方メートルと東日本最大規模のゆりパークです。まずは、全長1000mのリフトに乗り、約10分間の空中散歩を楽しんで“みはらし展望台”へ、上からの“ゆり大群落”は必見ものです。さらに遊歩道を行くと人気エリア“白樺の丘”があります、ゆりと白樺のコントラストは見応えがあり写真スポットとなっています。清々しい高原の散歩みちは1.5kmありますが、涼風と甘酸っぱい“ゆりの香り”を堪能できる別世界を是非たずねて下さい。今年は暑さのせいで1週間早めに開花したそうです、見頃は7月末から8月中旬ですがパークに問い合わせてから御出かけがよいと思います。℡0287(32)4580
213 備中松山城(岡山県高梁市)
市街地の北端にそびえる「臥牛山(がぎゅうさん)」標高約480mの4つの峰の一つ、小松山の山頂(標高約430m)に築かれた近世城郭。天守、二重櫓、土塀の一部が現存し国の重要文化財指定になっています。
山裾の御根小屋跡(現在は高等学校が建っている)は松山城主の日常の居館、政庁として広大な石垣の遺構と心字池(小堀遠州作)が残っています。
写真は現存の二層天守。次の5枚は左から①大手門脇の岩盤上の高石垣②現存の三の平櫓東土塀③本丸南御門、五の平櫓(ともに復元)④天然の巨石を櫓台とした二重櫓⑤本丸東御門(復元)下からの本丸石垣。
281 歴史と文化の散策・備中松山城下町「高梁市」
写真は頼久寺庭園(備中国奉行・小堀遠州作)国の名勝指定。戦国時代の城主・上野頼久公の菩提寺、瀬戸内観音霊場第一三番の札所である。
四方を高い山々に囲まれ、川幅の広い高梁川を中心に城下町が形成されています。幕末に老中をつとめ、戊辰戦争のとき徳川慶喜と大阪湾から逃げ、その後は会津や函館まで戦った“板倉勝静公(いたくらかつきよ五万石)”も歴代城主でした、また藩財政を再建した“山田方谷”も有名です。古くは尼子家再興に尽力したが夢叶わず、“山中鹿之助”が出雲から護送途中に首を切られた“阿井の渡し”は高梁川の南端にあります(墓もあります)。
次の五枚の写真は左から①石火矢町にある武家屋敷(背景の山が臥牛山)②江戸時代からの商家・商人町③戦時は出城となる石垣が立派な松連寺④紺屋川美観地区、城の外堀を果たした⑤阿井の渡しがあった高梁川下流域。
190 日本のポンペイ「一乗谷朝倉氏遺跡」(福井県福井市安波賀町)
一乗谷は福井市街の東南約10㎞にあり、朝倉氏5代103年間にわたり越前の中心として繁栄し北陸の小京都と呼ばれました。
朝倉・浅井連合軍が織田信長と戦った“姉川の合戦”や、その後の戦にも敗れて朝倉氏は滅び、城下町も焼討ちにあい灰燼に帰しました。昭和42年から遺跡の発掘調査が進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定され、室町末期の4庭園跡も特別名勝に指定されました。
発掘により武家屋敷、寺院、商人や職人達の住む町屋など戦国時代を伝える遺構が遺跡内の各所に整備され昔を偲ぶことができます。
027 ネモフィラとチューリップ(茨城県ひたちなか市~国営ひたち海浜公園)
ネモフィラは北米原産の一年草です。淡く青い花色から英名で「ベイビーブルーアイズ(赤ちゃんの青い瞳)」、和名では「瑠璃唐草(るりからくさ)と呼ばれています。
また、名前の由来はギリシャ語のnemos(小森)とphileo(愛する)が組み合わさった言葉。森の周辺に生育していることが多いところから来ています。
公園内の“みはらしの丘”35,000㎡に、450万本が咲く様は圧巻です。混雑を避けて早朝に行くことをお勧めします。
(開花時期:4月下旬~5月下旬)
429 今治城(愛媛県今治市 通称・吹上城、美須賀城)
日本三大水城の一つ。築城は〝関ヶ原の戦い〟の直後、慶長7年(1602年)、戦功により伊予半国20万石を領した築城名人の誉れ高い藤堂高虎が築城主。本丸に高虎の騎馬像があります。
遺構は石垣と内堀が残っている。模擬天守は5重6階で鉄筋コンクリート造り(昭和55年築)、鉄御門(くろがねごもん)や多門櫓は平成19年に復元されて水掘りに映えて美しい。
天守最上階からは、“しまなみ海道”の来島海峡大橋や瀬戸内を眺望することができて海城を実感できます。
薄暮、お堀端の焼き鳥屋(名物の鉄板焼き)で味わって、ライトアップの美しいお堀端一周コース散策をおすすめします。
884 桜の会津若松城(鶴ヶ城)~福島県会津若松市追手町~
幕末・戊辰戦争の舞台となり幾多の小説や映画が作られています。小説では『会津士魂』早乙女貢著を楽しく読みました。
近年は「勝てば官軍、負ければ賊軍」という考えは薄れ、道徳や倫理感を持ち立派な武士道を実践して死んでいった人たちの生きざまに共鳴を感じるのではないでしょうか。
天守閣や櫓などは再建ですが、高石垣や水掘りの遺構は東北随一で見応え充分です。また、幕末期の屋根瓦は「赤瓦」だったということで平成23年春までの赤瓦への葺き替え工事中です。来春はイメージチェンジなった桜の鶴ヶ城を是非ご見学下さい。
P1010423 丸亀城(香川県 通称・亀山城、蓬莱城)
丸亀市街地の南にある亀山(標高66メートル)に築城。輪郭式の平山城で江戸時代に建てられた御三階櫓が現存している(現存三重天守の中で最も小さい)。城壁は山麓から山頂まで4重になっており、総高60メートルの高石垣は日本一を誇る。独特の反りが美しく「扇の勾配」とよばれている。正に〝石の城〟にふさわしい造りである。
天守の最上階からは、優美な讃岐富士(飯野山)、瀬戸大橋や瀬戸内の島々など眺望できます。
主な城主は生駒親正(織田信長の側室、吉乃の一族)、山崎家冶、京極高和。
平成13年に丸亀城をモチーフにした曲、「城のある町」を歌手の「さだまさし」が発表し話題になりました。
IMG_2828 美観地区(岡山県 倉敷市)~白壁とアートの町~
倉敷川畔から鶴形山南側の街道に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び江戸幕府天領時代の町並みが残っている。1,979年に重要伝統的建造物保存地区に選定されている。
人気は〝大原美術館〟。エル・グレコ「受胎告知」他、名画を多数所蔵する日本を代表する私立美術館です。
美術館隣接の珈琲エル・グレコは松田聖子と田原俊彦のCMグリコ・ポッキーの撮影舞台としても有名です。
休日は都会並みの人出で大混雑ですが、今回は平日の夕暮れ時と翌早朝に散歩にでかけました。1羽の白鳥が気持ちよさそうに泳いでおり、岸辺の青柳の若芽が暖春を待っていました。
IMG_1112 犬山城(愛知県犬山市~別名 白帝城)
木曽川に臨む平山城で濃尾平野が一望でき、中山道や東美濃を制する要地にある。天守閣からは北西に岐阜城、南西に小牧城を望むことができる。天守の石垣は自然石をそのまま積み上げた〝野面積〟(のずらずみ)、外観は三重構造だが、内部は4階、現存する最古
の天守閣の一つで国宝に指定されている。
犬山市文化資料館(白帝文庫歴史文化館)には歴代城主、成瀬家伝来の刀剣・甲冑・鉄砲・古文書など重要文化財を含む貴重な資料を展示しています。特に〝長篠〟・〝小牧長久手〟合戦屏風は代表的な美術品として必見です。
IMG_2661 柳川~歴史と文化の薫る水郷~
福岡県柳川市は、街なかを豊かな水をたたえた掘割が流れている。
この蜘蛛の巣状に張り巡らされた掘割は〝柳川城〟縄張りの名残である。江戸時代に水上交通と城砦との役目を兼備していた。今では「どんこ舟」で名物〝うなぎせいろ〟を味わいながら、ゆったりと川下りを楽しむことができ、旧藩主・立花氏の別邸〝御花〟や詩人〝北原白秋〟の生家など名所・旧跡の見どころが多く、これから桜や青柳の芽吹く水辺がベストシーズンです。

~色にして老木の柳うちしだる

我が柳河の水の豊けさ~ ( 白秋 )

IMG_1061 古城・名城を歩く(シリーズ2回目)

松本城(長野県松本市丸の内)。壁面の漆黒の下見板張りから「烏城」とも呼ばれます。北アルプスの山々に映える大天守群は外観五層、内部六階で姫路城とともに全国で二基しか現存しない立派な天守閣です。
大天守の高さ29.4mを中心にL字型に乾(いぬい)小天守、辰巳(たつみ)附櫓、月見附櫓と並んだ配置は「複合連結式天守群」と呼ばれ絶妙の均衡美を誇る全国唯一の城です。

IMG_2247 四季の風景

~花の都公園(山梨県山中湖村)~
富士山を望む高原のお花畑(約30万平方メートル)。冬はイルミネーションと富士山のシルエットが美しい。富士のダイヤモンドリングのシャッターチャンスも期待できます。

IMG_1508 古城・名城を歩く(シリーズ1回目)
姫路城(兵庫県姫路市 別名 白鷺城しらさぎじょう)
標高約46mの姫山を中心とした平山城
大天守1棟ほか各小天守を含む7棟が国宝
内曲輪一帯と中曲輪の一部が国の特別史跡
関ヶ原合戦の軍功で池田輝政が入城、1601年から8年かけて今、目にする最高傑作の造形美を誇る城郭を完成した
1993年(平成5年)ユネスコ世界文化遺産に登録
IMG_1838 四季の風景
~国営ひたち海浜公園~みはらしの丘
コキアの紅葉と色とりどりに咲き誇るコスモスのハーモニーは圧巻です
Kocia(コキア)とは19世紀のドイツの植物学者の名前に由来してます
南ヨーロッパなどが原産で日本には中国から渡来しました
和名「ほうき草」、実は「とんぶり」と呼ばれ秋田県名産として有名です
見頃は9月下旬から11月上旬まで。