あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

野木メソッドによる「あすか」誌四月号作品の鑑賞と批評 

2024-04-21 11:54:26 | あすか塾 2024年

 

野木メソッドによる「あすか」誌四月号作品の鑑賞と批評 

 

 野木桃花主宰 四月号「青き踏む」から

 

奔放に生きたる証し臥竜梅

 臥龍梅(がりゅうぱい)は龍が這っている姿に似ていることから名づけられたとされる梅の木のことですね。その姿に奔放さを感じ入っている句ですね。ひるがえって、人間の不自由さへの想いが滲みますね。

春の雪少女はいつも夢に生く

 この句も言われていない、反対の想いが滲む表現ですね。いつまでも夢見る少女のようでありたかったという思いが投影されているように感じる句ですね。大人になると社会がそれを許さないのです。

老松の根のさびさびと春しぐれ

 「さびさびと」がいいですね。日本人だけが理解するワビ・サビの世界ですね。

初音聴く段段畑発光す

 「発光す」という大胆な言い切りがいいですね。春の野の光が溢れます。

 

 「風韻集」四月号から 感銘秀句

 

宿題を釣瓶落としの一日終ふ      高橋 光友

 なぜか宿題は後回しにしてしまい、時間的に追い詰められてした経験が誰にもあるでしょう。それを季節の落日の速さにかけた表現ですね。

冬凪を割りロシア語の貨物船      高橋みどり

 横浜港は国際港ですから多国籍の船が往来する景が日常的に見られますね。でも時節がら、「ロシア」には特別な想いが去来しますね。それをそう言わずにそっと・・・。

青き踏む童の踊り山間に        服部一燈子

 色んな音が響きわたりやすい山間の村落の景が浮かびますね。元気な子供たちの、
祭の踊の音でしょうか。のどかな響きが伝わります。

足裏にやさしき銀杏落葉かな      丸笠芙美子

 銀杏落葉は厚く嵩があるので、踏んだとき独得の感触が足裏に伝わりますね。その感覚を「やさしい」と感じた繊細な表現ですね。

冬温しやはらかになる受け答へ     宮坂 市子

 温かい冬の陽射しで、自分を含めた人々の会話が「やはらかに」感じたという表現がいいですね。

冬うらら磴に躓く鴉かな        村上チヨ子

 思わず微笑んでしまう、動物のちょっとしたしぐさを切り取って、何かあたたかい 

気持ちになりますね。

人波を熊手のし行く神の道       柳沢 初子

 酉の市で買った飾熊手でしょうか。「のし歩く」ではなく「のし行く」という表現もいいですが、下五を「参道」ではなく「神の道」としたのも効果的ですね。

日脚伸ぶ背ナに虹帯び鳩の群      矢野 忠男

 「背ナ」というと歌謡曲の「背なに満月 さげをのたすき」という小粋な歌詞を想起しますが、この鳩たちが背負っているのが「虹」という色彩表現が独創的ですね。

煙草ならバット所望の雪女       山尾かづひろ

 作者は失われゆく日本の風俗を掘り起こすような句作りをされている方ですが、この「バット」は紙巻煙草の最初に発売され、ロングセラーとなった、値段が安い庶民の煙草である「ゴールデンバット」の略称ですね。それをこの句では「雪女」に吸わせる表現で、この雪女が安酒場にいるような景が浮かんできますね。

真青なる空が一枚お正月        吉野 糸子

 「空が一枚」に見えるのは雲一つない穏やかな天候のときでしょう。下五「お正月」で読者は納得させられますね。

陶の里足元太く冬の虹         磯部のりこ

 間近に見えた虹を「足元太く」と表現して独創的ですね。陶器作りの町らしい空気感が表現されていますね。

吾亦紅出会ひし人は皆わが師      稲葉 晶子

 自尊、尊大になることを慎んで、敬虔な学びの姿勢で日々を生きてきた方でなければ詠めない句ですね。上五の「吾亦紅」が効いていますね。

春節の街のランタン膨れ出す      大本 典子

 「春節」「ランタン」というと横浜の中華街界隈の景が浮かびますね。「春節」は中国・中華圏における旧暦の正月ですね。中華圏では最も重要とされる祝祭日で、新暦の正月に比べ盛大に祝賀されます。それを「膨れ出す」と独創的に表現されました。

街路樹は冬の深さを知らしめる     大澤 游子 

 「冬の深さを知らしめる」という感じ方は、日本詩歌精神で、例えば「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」というように自然が「教えてくれる」という感性ですね。この句は街路樹の色の移ろいにそれを感受している表現ですね。 

最後の日捲り今年の終る音       大本  尚

 十二月三十一日のカレンダーを捲って外すとき、ああ、今年も終わったなという思いに誰もがなりますね。それを「今年の終る音」とした表現が俳句的で普遍的ですね。

踏むための落葉を求め山暮色      奥村 安代

 上五を「踏むための」としたのが独創的ですね。この季節ならではの、あの音、あの感触、あの感触を満喫したくて・・・という想いが共感を誘います。

餅搗の音にも潔よき若さ        風見 照夫

「潔よき若さ」という表現がいいですね。子どもや年配者の杵の音とは、切れと響がちがうことでしょう。美味しい餅が搗きあがる景が浮かびます。

通船の水脈立ちあがる寒夕焼      加藤  健

「水脈立ち上る」という表現が独創的ですね。冬の夕焼に煌めいている景が見えます。

凍空やクルスを秘する鬼瓦       金井 玲子

 長崎、天草の諸島部で見かける「潜伏切支丹」の秘め十字を想起する句ですね。上五の「凍空や」がその当時の世相の厳しさに想いを寄せているようですね。

名刺受畏まりをり屏風横        近藤 悦子

 初出の句会でも好句に選ばれた句ですね。厳かな催しの最初の「顔」となる受付係を担った人の緊張感まで伝わる表現ですね。

笑み零す祖父の遺影や白障子      坂本美千子

 この句の良さは下五を「白障子」としたことに尽きますね。上五の「笑み零す」から「遺影」の映像に接続し、「白障子」で仏間のある和室のような空間性への導きが効いていますね。

手捻りのぐい飲みいびつ冬ぬくし    鴫原さき子

 この句も初出の句会で好評だった句ですね。そのちょっとした歪みに、温かみを感じますね。

ひよつとこの加はる里の初神楽     摂待 信子

 「ひよつとこ」から句を始めたことで、初神楽という伝統を大切にしている集落の活気ある雰囲気が伝わりますね。

 

 「あすか集」四月号から 感銘好句

 

早過ぎる春一番や地球病む       柏木喜代子

 近年、季節の進行が乱れていますね。今年は早々と春一番が吹きましたが、桜の

開花は遅れました。「地球が病んでいる」とみんな思うようになるほど深刻化しましたね。

子等去りてチョークの線路冬の月    金子 きよ

 昔は路地などでよく見かけた景ですが、近年はあまり見かけなくなりました。何かほっとするような景ですね。すぐ念頭に浮かぶのが少子化問題ですね。

空つ風ブルカと見紛ふ女あり      木佐美照子

 ブルカはテント状の布で全身を覆い、イスラム教徒の女性が肌を他人に見せないようにし、女性の性的魅力を覆い控えめな見た目にして、性被害を避けることが目的だといいます。異文化の風習については、他国の者が軽々に云々はできませんが、アフガニスタンなどで行われている露骨な女性差別への批判の気持ちを背景に感じる句ですね。上五の「空つ風」の措辞にそれを感じますね。

裸木の纏ふ電飾異郷めく        城戸 妙子

 商業地区で見かける景ですが、「異郷めく」という作者の感慨を素直に受入れていると解するか、少し批判的な気持ちを汲み取るかは、それぞれでしょうね。

山吹の黄の弧を描き空き地かな     久住よね子

 中七まで読んだ段階では山吹の幹のしなりを「弧」と表現しているのだと思いますが、下五の「空き地」で、地を埋めつくしている「弧」状の表現だと解り、壮観ですね。

餅花や毬ふくよかに混みあへる     紺野 英子

 木の枝状の飾りの餅花の景ですね。「毬ふくよかに混みあへる」のやわらなか表現がいいですね。

寒月や月の兎もふるえてる       齋藤  勲

 メルヘンの世界を模して、冬の寒気をユーモラスに表現した句ですね。

山茶花の記憶遠くに揺れてをり     齋藤 保子

 山茶花、記憶、とくると、童謡の一節が浮かびます。山茶花には人それぞれの遠い記憶を呼び覚ますようなところがありますね。

犬ふぐりエンドロールに名の小さき   須賀美代子

 季語の「犬ふぐり」の、路傍の目立たぬさまと、映画などの配役名と俳優名のエンドロールに見つけた名前の小ささを取合せて、多数の脇役の中の一人の存在を噛みしめている、味わい深い表現ですね。

初夢に妻との会話まざまざと      須貝 一青

 愛妻に先立たれた寂しさがひしひしと伝わる表現ですね。

寒厳し番地変りて通り雨        鈴木 ヒサ子

 全国的に行政上の理由で地名や番地が唐突に変わることがあります。そのことへの居心地の悪さを、下五の「通り雨」で巧みに表現された句ですね。

節分会妻は太巻き二本買ふ       鈴木  稔

 節分会の太巻きは恵方巻のことでしょう。「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじりし、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう」とされていますが、その謂れはよく解っていません。「目を閉じて食べる」、あるいは「笑いながら食べる」という場合もあり、様々です。近畿地方の表現である「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛や家内安全を願うものではなかったのではないかとも言われています。この句の作者は二本の太巻きを夫婦で食べているようです。

水仙に元気を貰ふ余生かな       砂川ハルエ

 なにも水仙でなくてもいいのでしょう。今を余生と思う心の余裕と、何にでも感謝の気持ちで日々を見詰めて暮らしている作者の心構えに共感します。

白菜を割りて輝く朝 かな       関澤満喜枝

 大きな白菜を縦斬りにばっさりと。中心に向かって黄色の鮮やかなグラデーション。それを下五の「朝かな」で受けて、力のある表現ですね。

一月の温き日差しや七千歩       高野 静子

 健康のためのウォーキングで、一日の推奨歩数は六千歩以上といわれていますね。具体的な歩数を詠みこんだのが効果的ですね。一月の寒気の中というものいいですね。

どんと焼燃えて火の色空の色      高橋富佐子

「燃えて火の色空の色」というリズムがいいですね。炎の揺らめきと、その上の空の青さを感じさせる表現ですね。

霜強し鋼の音す山の水         滝浦 幹一

 液体を金属の「鋼」の直喩で表現して寒気が伝わりますね。

小春日の座り心地や車椅子       忠内真須美

 車椅子生活の不自由さの表現ではなく、日溜りでの居心地の良さの表現で、読者までほっこりとした気持ちになります。

臆病な猫のテリトリー犬ふぐり     立澤  楓

 攻めタイプではなく、引っ込み思案の猫ちゃんのようです。自己投影の表現でもあるのでしょうか。下五の地味な「犬ふぐり」の季語も効いていますね。

又ひとつさよならの影春の夜      千田アヤメ

 「又ひとつ」ですから、離別の体験が重なっているようですね。うららかな春だというのに・・・という喪失感が伝わります。

山茶花や蕾のままに啄まれ       坪井久美子

 作者の繊細な感受性が光る句ですね。

ひこばえの細きに未来八幡宮      中坪さち子

 伐られた大樹の根本の、まだ細い新芽。そのたよりないさまに、作者は逆に「未来」を感じているのですね。下五を「八幡宮」という祈りの場所にしたのが効果的ですね。 

湯煙や黒酢あんかけ春野菜       成田 眞啓

 湯煙ですから、温泉旅館で出された料理のひとつでしょうか。甘味のある酸味と羽歯ごたえ、そして湯の香り。取合せがいいですね。

柚子風呂や女はここでもかしましい   西島しず子

 いろんな状況のお風呂が想像されますが、「ここでも」という場所の表現を「柚子風呂」という冬至という季節の中に置いたのが効果的ですね。楽しそうです。

日だまりに笑顔ピチピチ成人式     沼倉 新二 

 肌などの若々しいさまを「ピチピチ」と、よく表現しますが、この句は成人の笑顔全体の表現にしたのが独創的ですね。

冬うらら葉擦れ清しき小径かな     乗松トシ子

「葉擦れ清しき小径」という表現自身が、清々しくていいですね。

団地の端庭一株の野水仙        浜野  杏 

 団地の庭には共有地か、その庭に面している一階の専有地か、いろいろあるようですが、この句はそのどちらかですね。いずれにしても狭い庭ですね。そこに春いちばんに野水仙が自生しているのを見つけたという景ですね。小さな春の発見ですね。 

画面より字面が好きで日なたぼこ    林  和子

 漢字では似た「画面」と「字面」ですが、読むと「がめん」と「じづら」で、最初は画像、後の方は書物のページのことですね。日なたぼこをしながら読書している人が見えます。本が読まれなくなっているご時世、共感する句ですね。

繕わぬ垣根の穴や石蕗の花       平野 信士

 「繕わぬ」は無精で放置している状態かなと思ったら、その前にひつそりと咲く「石蕗の花」のために、敢えてそうしているのだということが想像されて、詩情がありますね。

初電話一年分のおしやべりす      曲尾 初生

 女性はおしゃべりすると幸せホルモンが出るそうで、男性には出ないそうです。だから女性は長電話は快楽、楽しみの一つなのですね。年の初めを詠んだ句ですから、今年もずっとそうだよね、という想いも伝わります。

初雪やうたげのやうに舞ひて消ゆ    幕田 涼代

 「うたげのやうに」をひらがな書きにして、舞い散る姿を造形した表現ですね。優雅な祝祭的気分が伝わります。

夕さりの玄関前の石蕗明かり      増田 綾子

辺りが昏くなってきた夕刻、まるで玄関前だけ灯が点っているように、という表現ですね。「石蕗明かり」という表現はよく見かけますが、玄関前にしたのがいいですね。

深々と辞儀し起業の初出社       水村 礼子

 新年と同時に何か新しい仕事を始められたようです。何か晴れやかな出陣式のような空気感が伝わりますね。

春の雲童話の世界に遊びけり      緑川みどり

 春の雲を擬人化して童話の世界に遊ばせたのが愉しいですね。

雨戸引く音残る闇寒に入る       村田ひとみ

 この余韻の表現は巧みですね。寒気と闇の深さが伝わります。

凍てかへる崩れた街の欠片まで     望月 都子

 同時に投稿されている他の句で、この句も能登震災を詠まれたのだと推測できますが、「街の欠片」というズームアップが鮮烈ですね。

ミルフィーユ三寒四温の服選び     保田  栄

 洋菓子のミルフィーユ(mille-feuille)を直訳すると「千の葉」という意味で、何層もの生地や素材を重ねて作ることを表現したことばですね。「三寒四温」も気候の重なりで、それを、あれこれと服選びをしているさまを表現したのが巧みですね。

ガード下なべておでんの屋台かな    安蔵けい子

 電車のガード下を煉瓦造りのアーチ型の土台にして、その空間を店舗などとして利用し始めたのはドイツ発祥だそうです。山の手線のガード下にはそんな店舗がたくさんありますね。この句ではしかもその店にはおでん屋が多いと詠まれていて、なるほどと思いました。

立春の畑は獸の宴痕          内城 邦彦

 農業者にとっては困った食害の景ですが、それを「獸の宴痕」と表現したのが巧みですね。その双方の想いが交錯する句ですね。

着膨れてバスの座席を二つ占め     大谷  巌

 そういう人を見かけますね。この句はそれが自分自身であるかのように詠まれていてユーモラスですね。

冬日和一夜寝かせし稿を読む      大竹 久子

 まるで漬物か、パンなどの生地のように、自然発酵を待っているかのように詠んで、詩情がありますね。

しんしんと凍てじんじんと能登の闇   小川たか子

 しんしんと冷え込み悴んで、じんじんと心に沁みて、悼みの心が深まります。

夫まとふ薬酒のかをり寒明くる     小澤 民枝

「夫まとふ」という表現に、作者の愛情の細やかさを感じる句ですね。夫の健康を祈り、供に迎える寒明けの季節を生きてゆこうという気持ちが伝わります。

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あすか誌 2024年4月号

2024-04-09 11:24:28 | あすか誌 2024年

    あすか誌 2024年4月号

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あすかの会3月    2024年

2024-03-24 14:45:03 | あすかの会 2024 令和6

        あすかの会秀句    春の季語「鳥帰る」兼題「揺」    2024年3月22日   

 

 野木桃花主宰の句

漕ぐやうに風が揺らして半仙戯 

囀や花回廊の奥の奥

健気さを力となして嶺桜

山越えて来る風を待ち帰る鳥

 

 野木主宰特選

透析に射しこむ日差しヒヤシンス    かづひろ

 武良竜彦特選

金管にタワー映して春を行く      悦 子

 秀句 選の多かった順

木々の揺れうつろに見てる春の風邪   さき子

 

青き踏む歩ける今を歩きけり       尚

再会を誓ふ約束鳥帰る         典 子

戦なき空を選んで鳥帰る        さき子

料峭の一人シーソー沈むまま      ひとみ

 

抜き足に軋む階段冴え返る        尚

忘れ雪落して揺らぐ笹の音       市 子

思い出も居場所のひとつ冴返る     さき子

揺りかごの小さきまどろみ花菜風    玲 子

春水や歯朶の葉先の揺れ止まず     玲 子

離るるも向かふも故郷鳥雲に      玲 子

揺り椅子の誘ふ夢やあたたかし     ひとみ

白椿生まれて生きてただ去りぬ     都 子

青空を背に無心なる土筆摘       礼 子

鳥帰る引越先の家の鍵         礼 子

 

初蝶やこの世に迷いたるように     さき子

鳥帰るその先何かきな臭し        尚

ハモニカの男は揺れて春の土手     典 子

鳥雲に都邑の空に溶けるまで      みどり

北帰行ぼんやり想ふ父のこと      みどり

巻寿司に入れる庖丁鳥帰る       かづひろ

三月の鯉のゆるんで尾を揺りぬ     かづひろ

鳥雲に安堵と淋しさ綯い交ぜに     市 子

池の面の雲を揺らして亀鳴けり     玲 子

釣釜の揺れに心を杓加減        悦 子

青き踏む生きるではなく生かされて   ひとみ

春疾風二日続きの戸の軋み       礼 子

 

京言葉の叔母の手を取る花の苑     かづひろ

混沌を揺り醒ましをり春の雷      みどり

揺りかごの捨てられてをり春陽中    みどり

心根の微妙に揺るる春の宵        尚

猫柳川面光りて立ち揺らぐ       市 子

鳥帰る天空ふさぐ峰四方に       市 子

「チェルシー」も別れのころか鳥帰る  典 子

三月や初めて使ふ万年筆        典 子

薄明に残るともしび鐘おぼろ      悦 子

参勤を終へて封地へ鳥帰る       悦 子

新緑の揺れてさしくる         英 子

若々しよりも品良く春ショール     英 子

せせらぎに揺るる葉先や竹の秋     英 子

挨拶をするかに肩に紋白蝶       英 子

横たはる背に土手の草鳥帰る      ひとみ

紺暖簾揺らし角打ち春の宵       礼 子

冬木の芽固く閉ざして雑木山      都 子

ふらここを漕げば心も踊り出す     都 子

家並の途絶えし空や鳥帰る       都 子

 

〇 参考 武良竜彦の句

   黒田杏子一周忌

杖欲(ほっ)し泉下の杏子(ももこ)に借りる春

川の音は弔辞か能登の春の雪

雪解川揺るる命を岩の陰

難破船のごとき列島鳥帰る

 

 

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あすか塾 野木メソッドによる「あすか」誌2024年3月号作品の鑑賞と批評 

2024-03-17 16:20:56 | あすか塾 2024年

     野木メソッドによる「あすか」誌三月号作品の鑑賞と批評 

 

 野木桃花主宰「淡雪」三月号から

被災地へ寒九の水を自衛官

「寒九の水」は晩冬の季語「寒の水」の子季語で、その冷たさ極まった様子から、神秘的な力があると信じられています。掲句は自衛隊による被災地への緊急給水支援を詠んだと思われますが、「寒九の水」と詠まれて特別な思いが籠った表現になっていますね。下五も自衛隊と複数名詞にしないで「自衛官」と、隊員の姿が浮かぶ表現になっていて心に沁みますね。

母の忌や一手間かけて煮大根

 亡母への思慕の情の籠る句ですが、「一手間かけて」にその思いのすべてが託されていますね。

寒月をしばし見上げる「SLIM」かな

 無事に着陸に成功した小型月着陸実証機「SLIM(Smart Lander for Investigating Moon)」は、その軽量化技術で将来の太陽系探査の要求に応えることができるようになったそうです。語の「寒月」で果敢にそんな最新ニュースを詠みこまれました。まさに時代が変ろうとしています。

日を宿す民話の里や木の根明く

 「日を宿す」の「日」は陽光の「日」と、歳月の「日」の両方にかかる表現ともとれますね。伝統のある牧歌的な暖かな響きを感じる句ですね。

 

 「風韻集」から 感銘秀句

木箱ごとりんご購ふ道の駅       摂待 信子

 上五、中七の内容は大家族らしい人たちの購買活動として見かける景ですが、下五の「道の駅」で別の風情が立ち上ります。きっと林檎の名産地に近い道の駅なのだろうと、その賑わいまで感じる句ですね。

 

木の葉髪ホテルに豪華な化粧室     高橋 光友

「木の葉髪」は初冬の季語で、夏の紫外線や暑さで髪が荒れて、晩秋から初冬にかけて抜け毛が多くなることを、木の葉が落ちるのにたとえた表現ですね。自分のすこし荒れた髪を、ホテルの豪華な化粧室の中に見出している対比が独創的ですね。

おもかげを拾ひ集めて初鏡       高橋みどり

初鏡は新年の季語で、子季語に初化粧、化粧初があります。新年になって初めて鏡に向かって化粧すること、またはその鏡のことですね。映している自分の容姿に、よく似た母の面影を見出しているということでしょうか。「拾ひ集めて」に独特の詩情と余韻が立ち上る表現ですね。

初詣麒麟が来ると告げる朝       服部一燈子

「麒麟」は架空の瑞獣の中の一つですね。古事記や日本書紀にも記載があり、年号にも取り込まれています。今年はいい年になって欲しいとの古代中国、日本の人々の願いが込められているのですね。特に「麒麟」は仁の心を持つ君主が生まれると姿を現す一角の霊獣とされていて、いかなる命も傷つけない瑞獣とされています。NHKの大河ドラマで「麒麟が来る」という大河ドラマがありましたね。

冴ゆる月眉に影置く観世音       丸笠芙美子

 「観世音」は世の人々の声を観じて、その苦悩から救済する菩薩で、人々の姿に応じて大慈悲を行い千変万化の相となるとされています。「眉に影置く」という表現は、観世音菩薩の弓なりの美眉の表現であると同時に、作者のどこか翳りを含んだ思いの投影でしょうか。

歯応へは無言のことば茸めし      宮坂 市子

 嚙んだときに感じる「歯応へ」に、茸の「声」ではなく、もう一歩踏み込んだ、その意味である「ことば」を聴いたという感慨を抱かれた表現で、味わいがありますね。

渡し船へママチャリ急ぐ秋夕焼     村上チヨ子
 夕焼に染まる港の、いろんな景が想像される句ですね。島か狭い海峡の港で、自転車ごと乗り込んで対岸に運んでくれる渡し船があるのでしょう。「ママチャリ」と特定したことで、買物帰りの自転車の籠の中に入っている食材の荷物まで想像されます。

渋面のゴリラごろりと秋思かな     柳沢 初子

中七の「ゴリラごろりと」の音韻が愉快ですね。しかし下五で「秋思」ときて、作者の憂いが投影されている表現に意外性がありますね。ご気楽そうなゴリラが、もの思いにふけっているかのようです。

五分粥の全粥となり七日粥       矢野 忠男

 作者は正月を挟んで年末年始を入院生活で過ごされたようです。投句されている五句にすべてその生活のさまを詠みこまれました。「七日粥」は人日の節句(毎年一月七日)の朝に今年の無病息災を願って食べるものですが、手術後の恢復の過程を詠み込んで、辿り着いた「七日」と詠まれて、読者もご恢復を祈る気持ちになります。

縄地蔵目は巻かれずに花八ツ手     山尾かづひろ

 「縄地蔵」は人々の心身の苦しみの身代わりとなるという信仰の地蔵尊のひとつで、「縄解地蔵尊」ともいいます。その信仰によって罪ある者さえ解放されたと言い伝えられています。全身を縄でぐるぐる卷にされた姿が多いのですが、作者が見た地蔵尊は「目は巻かれず」にいたのでしょうか。その土地柄が出ていますね。初冬、小さくて細かい黄白色の花を鞠状につける「花八ツ手」との取り合わせが絶妙ですね。

錦秋に映えて高々時計台        吉野 糸子

 「錦秋」は紅葉が錦の織物のように美しい秋という季語で、鮮やかな色彩を持つ季語ですね。それを高い塔で孤独にひたすら時を刻む「時計台」と取合せて、秋の深まりゆく空気感を表現しましたね。

亡き夫の渡りし影か秋の虹       磯部のりこ

 文句なしに胸にぐっと迫った句でした。その深い喪失の悲しみの永い時を経て、このような俳句を詠めるようになられたことに、逆に読者が励まされます。

思ひ出を編み直しては子のセーター   稲葉 晶子
 
「編み直し」に、素材という「もの」を大切にする日本の文化の伝統と、親子の間に共有される、過ぎ行く「時間」の「編み直し」を感じさせる表現ですね。

大冬木走り根しかと揺るぎなし     大本 典子

 大樹の「走り根」の大地をしっかり掴んだ風情が目に浮かびますね。もう一つの、

燃ゆるもの内に秘めたる冬木の芽」も印象に残る句でした。二句とも自然の命の営みの力強さを感じました。

産土は日の本の臍空つ風        大澤 游子   

日本列島の「臍」候補に名を連ねている場所は、栃木県佐野市、山梨県韮崎市、長野県辰野町、岐阜県関市、群馬県渋川市、兵庫県西脇町があります。「空つ風」で有名な場所となると、その名物のひとつとして数えられている群馬県のことでしょうか。『赤城おろし』とも呼ばれ、「かかあ天下とからつ風(女性が働き者であること、からつ風が吹くことが群馬名物)」という言葉はとても有名ですね。群馬県が作者の生れ故郷か、現在のお住まいなのでしょうか。こういう地域愛の表現もあるのですね。

大枯木広げし先にある未来       大本  尚

 落葉した枯木はその枝先に芽吹く命を育んでいます。それを枝先ということばを省略した俳句の技法で「広げし先にある未来」と詠んで、詩情がありますね。

音を編む木の葉時雨の切り通し     奥村 安代

 切り通しのそそり立つ壁面の上に葉が茂って道を覆っているような景が目に浮かびます。雨音の音響のトンネルを進んでいくような感じですね。樹々を主語にして「音を編む」と擬人化したのが効果的ですね。

師の逝きて山茶花の白際立てり     風見 照夫

 師事した尊敬する方への哀悼句ですね。自分の喪失感や悲しみなどの感慨を直接的な言葉にしないで、「山茶花」の白色に託して、これぞ俳句という詩情が立ち上りますね。

隼の瑞雲の空飛びゆけり        加藤  健

「瑞雲」とは雲が赤や緑など虹のように彩られる雲で、幸運の予兆として昔から縁起がいいものとされています。それを上五で「隼の」として、下五で「飛びゆけり」と表現して、爽やかで力強い飛翔感を感じさせますね。

餅花や大きく小さく指の跡       金井 玲子

「餅花」は日本の一部地域で正月とくに小正月に、木の小枝に小さく切ったや団子をさして飾るものですね。東日本では「繭玉」の形にする地域が多いようです。一年の五穀豊穣を祈願する予祝の意味をもつとされます。掲句は家族で作ったのでしょうか。大人と子供の指の跡が残っていることを詠んで、その景が浮かびますね。

厨ごと甘辛くして金目鯛        近藤 悦子

 必要最小限のことばによる、俳句的な省略表現ですが、物語性のある景が目に浮かぶ表現ですね。厨に立ち込める香りが感じられますね。他の「亡夫のセーター背にかけちよいと小買物」もいい句ですね。

晴か雨下駄に委ねる神の留守      坂本美千子

 下駄を足先から放って着地したときの表裏で明日の天気を占う昭和の遊びの景ですが、下五の「神の留守」と取合せたことで味わい深くなりますね。

火口湖の霧の器になる速さ       鴫原さき子

 火口湖の擂鉢状の斜面に霧が流れ込んでゆく様が目に見えるような句ですね。

 

 「あすか集」から 感銘秀句

次世代の味のずらりとお元日      小澤 民枝

 世代の違う人の手による正月料理の違いに、時代の変化をつくづく感じ入っている思いが素直に伝わる句ですね。

忘年会まんまる月と帰宅せり      柏木喜代子

 「まんまる」をひらがなにしたのがいいですね。楽しい忘年会の帰りのようです。充実感と開放感のある句ですね。

露の世や迷ひ戸惑いひ二人連れ     金子 きよ

 「迷ひ戸惑ひ」と大きな悩みと日常の小さな戸惑いをリズミカルに詠みこんで、夫婦で過ごした来し方を、充実感をもって振り返っているようですね。

納豆の箸折るるほど糸引かせ      木佐美照子

 納豆は三冬の季語で、関東が主流の糸引き納豆と、大徳寺納豆に代表される塩辛納豆(乾燥した納豆)の二種類があります。掲句はもちろん関東系の納豆ですね。強度のある箸でないと折れる場合があります。割箸ではすぐ折れてしまいます。楽し気な食卓が目に浮かびます。

夢一つ持ちて幾歳石蕗の花       城戸 妙子
 若い頃はたくさんの夢があったりしますが、掲句は最初から一つに絞り込んで生きてきた、という強い意志を感じさせる表現ですね。下五に鮮やかな黄色に一際存在感がある「石蕗の花」を置いて取合せたのがいいですね。

鵙猛る指に刺したる棘深し       齋藤 保子

「鵙猛る」は三秋の季語「鵙」の子季語ですね。掲句はその高音に、自分の指に刺さった棘の痛みを取合せて効果的ですね。別の三秋の季語「鵙の贄」の、鵙が昆虫や蛙、蛇、鼠などを捕らえて尖った木の枝や有刺鉄線などに刺して蓄える習性のことが背景に連想され、癒えない心の痛みの暗喩のようにも感じられますね。

雪嶺や太古の魚の深ねむり       須賀美代子

 二通りの鑑賞法が浮かびました。一つは雪嶺の斜面に魚の形を見出している感慨、もう一つは雪を被っている眼前の山は、海底の隆起によってできたもので、そこに何億年も前の魚の化石を抱いて眠っているのだという感慨です。どちらに解しても味わい深い句ですね。

裸木の装ひ脱ぎて仁王立ち       高野 静子

 裸木の幹の隆々たるさまが、筋骨隆々の仁王像のように見えたという直喩が力強くていいですね。

すぐそこに深き闇持つ冬夕焼      高橋富佐子

 元旦の能登震災のことを思ってしまいますが、普遍性がある表現にしたのがいいですね。

セーターのまつさらを着て空眩し    滝浦 幹一

 真っ新のセーターと空の眩しさは、本来は無関係ですが、このように俳句で表現すると、心の状態まで真っ新になったような詩情が立ち上りますね。

初冬や会話のできぬ夫と居る      忠内真須美

 幾通りかの鑑賞が可能な表現ですね。「会話のできぬ」状態の病を得られた夫と厳しい冬を過ごされている情況のようですが、突然、そうなられたのか、もう何度目かの冬をそうして乗り越えられようとしているのか。深刻な情況ながら、それを介護される作者の静かで強い意志を感じる句ですね。

寒鯉の群れて力を溜めてをり      立澤  楓

 一尾では力というものを特には感じない鯉ですが、集団となって形成される力というものがある、という感慨は一つの発見でもありますね。

亡き夫の笑顔麨に噎せおれば      丹治 キミ

 麨(麦こがし)は、季語辞典では「はったい」とひらがな表記にされていて、三夏の季語と定義されています。新麦を炒って焦がし、粉に碾いたもので、砂糖を混ぜ、水や湯を加えて練って食べます。落雁や饅頭など、和菓子の材料になります。掲句の噎せて笑ったとき、亡き夫の笑顔が浮かんだという表現が独創的で心に沁みますね。

年の瀬の黒豆だけはマイペース     千田アヤメ

 お正月料理はどれも手間暇のかかるものですが、特に黒豆は時間のかかる食べ物でしょうか。そのことに自分の生き方を投影して許している感じがいいですね。

ロボットの手も借り神社の煤払     中坪さち子

 神社の煤払にまでロボットが働く時代になったのですね。どんなアームとハタキが付いているのか、違和感を通り越して愉快です。

熱燗や夫婦無口になるばかり      成田 眞啓

 仲が悪いための無口ではなく、お互い気の置けない、すべてを許し合った熟年夫婦の雰囲気を感じる温かい句ですね。

船乗りの祖父はセーター編んだと言ふ  西島しず子

 航海に時間のかかる遠洋船の船員だったのでしょうか。船員は持て余すほどの時間を使ってセーターを編んだのでしょう。

ひそと咲き花とも見えぬ寒葵      沼倉 新二 

寒葵は茎が短く地面に這うような植物ですね。花期は秋季で地面に接して咲きますが、花のように見えるのは花弁ではなく三枚の萼片なのですね。小さい筒型で地味な黄色です。作者はその目立たない姿に逆に趣を感じ魅かれているようです。

枯園に寂と響ける鹿おどし       乗松トシ子

 掲句の鹿おどしは、カンと響きわたるような音ではなく、水を含んだ竹筒の鈍い音を立てている、古い歴史のあるものでしょうね。それを「寂と響ける」と表現して趣がありますね。

バス終点冬日を浴びし雀瓜       浜野 杏  

雀瓜は原野や水辺などに生え、果実は球形または卵形で、はじめは緑色ですが、熟すと灰白色になりますね。果実がカラスウリより小さいことからとか、果実をスズメの卵に見立てたことからとか言われていますね。掲句は鄙びた田舎のバス終点の、何かに絡んでいるような景で、詩情がありますね。

新春や違いわからず辰と龍       林  和子

 辰と龍の違いは辰が干支上での言葉で、それ以外の一般的な呼称が龍ですね。漢字表記の世界だけの違いですが、今年は何年? というとき以外はあまり気にしていないですね。まさに新春の想いなのですね。

ひよつとこは淋しがり屋か初神楽    平野 信士

 神楽は神様に奉納するために行う舞や歌で、それに登場して道化役として踊ったのがひょっとこのはじまりと考えられています。左右の目の大きさが違ったり、頬被りをしていたりします。名前の語源は、竃の火を竹筒で吹く「火男」がなまったという説や、口が徳利のようなので「非徳利」からきているという説があります。掲句はその道化師の孤独な内面に踏み込んで味わいがありますね。

ほこほこと靴底やさし落葉道      曲尾 初生

 落葉踏みの俳句で、靴底に伝わるやさしい感覚を詠んだ句にはじめて出会いました。視点が独創的ですね。

球根の花咲く頃は米寿かな       幕田 涼代

 球根植物は毎年繰り返し花を咲かせる多年草の一種で、植えっぱなしで冬越しできる品種は宿根草と言います。掲句はその花が咲くのが米寿、つまり八十八歳を迎えることを詠んでいるようで、現在はその一つ前の八十七歳ということでしょうか。ちなみに六十歳の「還暦」や七十歳の「古希」は中国から伝わりましたが、七十七歳の「喜寿」以降のお祝いは日本発祥と言われています。これからは日本式祝い歳を迎える年齢になられたということですね。

猫老いて縄張り縮小冬に入る      増田 綾子

 猫の世界にも実際にあることなのでしょうね。それを俳句で詠むと、まるで人の世の反映のような味わいが出ますね。

小正月耕人の腰鎌光る         水村 礼子

 旧暦では春ですが実質的には耕地の吹く風はまだ冷たいはずです。でも農作業をしている人がいて、その腰に刺した鎌の金属の光で、寒気を表現したのが味わい深いですね。

聴秋閣屋根に紅葉の二三枚       緑川みどり

 聴秋閣は横浜市中区の三渓園内にある建築物で、二層の楼閣風で、三渓園では臨春閣と並んで著名な建造物ですね。周りに紅葉の大樹があって、たしかに屋根に紅葉が散っていましたから、実景を素直に詠んだ句ですが「二三枚」と結んで風情がありますね。

十二月八日郵便受けに厚き文      村田ひとみ

 十二月八日はただの日付ではなく、歴史的背景を持つ特別な日でもあります。代表的なものは、やはり太宰治が小説「十二月八日」で描いたように、日本海軍の戦闘機による真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争勃発でしょう。この作品は「主婦の日記」の形式で記したもので、日記の筆者のモデルは美知子夫人。美知子は本作品について次のように述べています。

《長女が生まれた昭和十六年(一九四一)の十二月八日に太平洋戦争が始まった。その朝、真珠湾奇襲のニュースを聞いて大多数の国民は、昭和のはじめから中国で一向はっきりしない○○事件とか○○事変というのが続いていて、じりじりする思いだったのが、これでカラリとした、解決への道がついた、と無知というか無邪気というか、そしてまたじつに気の短い愚かしい感想を抱いたのではないだろうか。その点では太宰も大衆の中の一人であったように思う。》 

 太宰治のみならず、大方の当時の日本人が抱いた感覚だったでしょう。それが悲惨な結末を迎える誤った道であることを見通すことは困難なのですね。

 掲句の「郵便受けに厚き文」は未開封の書状の束で、何かを訴えているような表現になっていて、味わいがありますね。

短日や欅は拳振り上げる        望月 都子

 落葉して裸木になった大欅の太い枝がまるで拳を振り上げているように感じられたようですね。それはつまり作者の心情の投影なのでしょう。何か叫びたいような理不尽なことが胸に蟠っているのでしょうか。

少年の自転車に揺れ注連飾       保田  栄

 少年が自発的な買物として、注連縄を買うことはあまりないと思いますので、買ってきてと頼まれたのでしょうか。家族の様子まで想像される温かみを感じる句ですね。

冬夕焼負けじとコキア朱をまして    安蔵けい子

 コキアの和名は、乾燥した茎を箒に使うので「ホウキギ」ですね。茎は枝分かれして球形になり、最初は緑色で後に赤くなります。掲句はそれを「冬夕焼」に負けまいとして朱になったと表現して詩的ですね。

上出来の甘夏ジャムや寒緩ぶ      内城 邦彦

 自前の甘夏ジャムつくりに挑戦されたようです。うまくできたようですね。その達成感を「寒緩ぶ」で表現して味わいがありますね。

無人駅一人降りゆく吹雪中       大谷  巌

 真冬の吹雪の厳しさを、「無人駅」「一人降りゆく」という孤独感で表現したのが効果的ですね。

冬紅葉残る一葉に宿る思慮       大竹 久子

 よくある景ですが、その残った一枚にそのように「思慮」を感じ取っているのは作者の豊な感性そのものですね。

名木の爆ぜるかに飛ぶ寒雀       小川たか子

 意外性のある表現にして、楽しませてもらえる句ですね。読者は「名木の爆ぜるかに飛ぶ」までは、名木がどうして爆ぜるのだろうと読んできます。ところが下五の「寒雀」で、たくさんの雀たちが一斉に枝から飛び立ったという、動的な景に瞬間で転換します。切れのある鮮やかな表現が効果的ですね。

 

 その他、心に残った句

初電話友はすつかり長崎弁       小澤 民枝

冬夕焼便りの絶えし友一人       城戸 妙子

味噌作り豆蒸す匂い寒の内       久住よね子

焼芋屋声と煙のコラボかな       斉藤  勲

横浜が終の住居に実万両        須貝 一青

アメ横で出し汁一椀飲む師走      鈴木ヒサ子

早足の若き僧くる年賀かな       鈴木  稔

終電へ二人疾走師走かな        砂川ハルエ

元旦や「津波にげて」に犬を抱く    関澤満喜枝

団欒の真中にありし丸火鉢       高橋富佐子

年の瀬や激しき声のひよの群      坪井久美子

 

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あすか誌 3月号 2024(令和6)年

2024-03-06 14:40:02 | あすか誌 2024年

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