野木メソッドによる「あすか」誌四月号作品の鑑賞と批評
◎ 野木桃花主宰 四月号「青き踏む」から
奔放に生きたる証し臥竜梅
臥龍梅(がりゅうぱい)は龍が這っている姿に似ていることから名づけられたとされる梅の木のことですね。その姿に奔放さを感じ入っている句ですね。ひるがえって、人間の不自由さへの想いが滲みますね。
春の雪少女はいつも夢に生く
この句も言われていない、反対の想いが滲む表現ですね。いつまでも夢見る少女のようでありたかったという思いが投影されているように感じる句ですね。大人になると社会がそれを許さないのです。
老松の根のさびさびと春しぐれ
「さびさびと」がいいですね。日本人だけが理解するワビ・サビの世界ですね。
初音聴く段段畑発光す
「発光す」という大胆な言い切りがいいですね。春の野の光が溢れます。
◎ 「風韻集」四月号から 感銘秀句
宿題を釣瓶落としの一日終ふ 高橋 光友
なぜか宿題は後回しにしてしまい、時間的に追い詰められてした経験が誰にもあるでしょう。それを季節の落日の速さにかけた表現ですね。
冬凪を割りロシア語の貨物船 高橋みどり
横浜港は国際港ですから多国籍の船が往来する景が日常的に見られますね。でも時節がら、「ロシア」には特別な想いが去来しますね。それをそう言わずにそっと・・・。
青き踏む童の踊り山間に 服部一燈子
色んな音が響きわたりやすい山間の村落の景が浮かびますね。元気な子供たちの、
祭の踊の音でしょうか。のどかな響きが伝わります。
足裏にやさしき銀杏落葉かな 丸笠芙美子
銀杏落葉は厚く嵩があるので、踏んだとき独得の感触が足裏に伝わりますね。その感覚を「やさしい」と感じた繊細な表現ですね。
冬温しやはらかになる受け答へ 宮坂 市子
温かい冬の陽射しで、自分を含めた人々の会話が「やはらかに」感じたという表現がいいですね。
冬うらら磴に躓く鴉かな 村上チヨ子
思わず微笑んでしまう、動物のちょっとしたしぐさを切り取って、何かあたたかい
気持ちになりますね。
人波を熊手のし行く神の道 柳沢 初子
酉の市で買った飾熊手でしょうか。「のし歩く」ではなく「のし行く」という表現もいいですが、下五を「参道」ではなく「神の道」としたのも効果的ですね。
日脚伸ぶ背ナに虹帯び鳩の群 矢野 忠男
「背ナ」というと歌謡曲の「背なに満月 さげをのたすき」という小粋な歌詞を想起しますが、この鳩たちが背負っているのが「虹」という色彩表現が独創的ですね。
煙草ならバット所望の雪女 山尾かづひろ
作者は失われゆく日本の風俗を掘り起こすような句作りをされている方ですが、この「バット」は紙巻煙草の最初に発売され、ロングセラーとなった、値段が安い庶民の煙草である「ゴールデンバット」の略称ですね。それをこの句では「雪女」に吸わせる表現で、この雪女が安酒場にいるような景が浮かんできますね。
真青なる空が一枚お正月 吉野 糸子
「空が一枚」に見えるのは雲一つない穏やかな天候のときでしょう。下五「お正月」で読者は納得させられますね。
陶の里足元太く冬の虹 磯部のりこ
間近に見えた虹を「足元太く」と表現して独創的ですね。陶器作りの町らしい空気感が表現されていますね。
吾亦紅出会ひし人は皆わが師 稲葉 晶子
自尊、尊大になることを慎んで、敬虔な学びの姿勢で日々を生きてきた方でなければ詠めない句ですね。上五の「吾亦紅」が効いていますね。
春節の街のランタン膨れ出す 大本 典子
「春節」「ランタン」というと横浜の中華街界隈の景が浮かびますね。「春節」は中国・中華圏における旧暦の正月ですね。中華圏では最も重要とされる祝祭日で、新暦の正月に比べ盛大に祝賀されます。それを「膨れ出す」と独創的に表現されました。
街路樹は冬の深さを知らしめる 大澤 游子
「冬の深さを知らしめる」という感じ方は、日本詩歌精神で、例えば「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」というように自然が「教えてくれる」という感性ですね。この句は街路樹の色の移ろいにそれを感受している表現ですね。
最後の日捲り今年の終る音 大本 尚
十二月三十一日のカレンダーを捲って外すとき、ああ、今年も終わったなという思いに誰もがなりますね。それを「今年の終る音」とした表現が俳句的で普遍的ですね。
踏むための落葉を求め山暮色 奥村 安代
上五を「踏むための」としたのが独創的ですね。この季節ならではの、あの音、あの感触、あの感触を満喫したくて・・・という想いが共感を誘います。
餅搗の音にも潔よき若さ 風見 照夫
「潔よき若さ」という表現がいいですね。子どもや年配者の杵の音とは、切れと響がちがうことでしょう。美味しい餅が搗きあがる景が浮かびます。
通船の水脈立ちあがる寒夕焼 加藤 健
「水脈立ち上る」という表現が独創的ですね。冬の夕焼に煌めいている景が見えます。
凍空やクルスを秘する鬼瓦 金井 玲子
長崎、天草の諸島部で見かける「潜伏切支丹」の秘め十字を想起する句ですね。上五の「凍空や」がその当時の世相の厳しさに想いを寄せているようですね。
名刺受畏まりをり屏風横 近藤 悦子
初出の句会でも好句に選ばれた句ですね。厳かな催しの最初の「顔」となる受付係を担った人の緊張感まで伝わる表現ですね。
笑み零す祖父の遺影や白障子 坂本美千子
この句の良さは下五を「白障子」としたことに尽きますね。上五の「笑み零す」から「遺影」の映像に接続し、「白障子」で仏間のある和室のような空間性への導きが効いていますね。
手捻りのぐい飲みいびつ冬ぬくし 鴫原さき子
この句も初出の句会で好評だった句ですね。そのちょっとした歪みに、温かみを感じますね。
ひよつとこの加はる里の初神楽 摂待 信子
「ひよつとこ」から句を始めたことで、初神楽という伝統を大切にしている集落の活気ある雰囲気が伝わりますね。
◎ 「あすか集」四月号から 感銘好句
早過ぎる春一番や地球病む 柏木喜代子
近年、季節の進行が乱れていますね。今年は早々と春一番が吹きましたが、桜の
開花は遅れました。「地球が病んでいる」とみんな思うようになるほど深刻化しましたね。
子等去りてチョークの線路冬の月 金子 きよ
昔は路地などでよく見かけた景ですが、近年はあまり見かけなくなりました。何かほっとするような景ですね。すぐ念頭に浮かぶのが少子化問題ですね。
空つ風ブルカと見紛ふ女あり 木佐美照子
ブルカはテント状の布で全身を覆い、イスラム教徒の女性が肌を他人に見せないようにし、女性の性的魅力を覆い控えめな見た目にして、性被害を避けることが目的だといいます。異文化の風習については、他国の者が軽々に云々はできませんが、アフガニスタンなどで行われている露骨な女性差別への批判の気持ちを背景に感じる句ですね。上五の「空つ風」の措辞にそれを感じますね。
裸木の纏ふ電飾異郷めく 城戸 妙子
商業地区で見かける景ですが、「異郷めく」という作者の感慨を素直に受入れていると解するか、少し批判的な気持ちを汲み取るかは、それぞれでしょうね。
山吹の黄の弧を描き空き地かな 久住よね子
中七まで読んだ段階では山吹の幹のしなりを「弧」と表現しているのだと思いますが、下五の「空き地」で、地を埋めつくしている「弧」状の表現だと解り、壮観ですね。
餅花や毬ふくよかに混みあへる 紺野 英子
木の枝状の飾りの餅花の景ですね。「毬ふくよかに混みあへる」のやわらなか表現がいいですね。
寒月や月の兎もふるえてる 齋藤 勲
メルヘンの世界を模して、冬の寒気をユーモラスに表現した句ですね。
山茶花の記憶遠くに揺れてをり 齋藤 保子
山茶花、記憶、とくると、童謡の一節が浮かびます。山茶花には人それぞれの遠い記憶を呼び覚ますようなところがありますね。
犬ふぐりエンドロールに名の小さき 須賀美代子
季語の「犬ふぐり」の、路傍の目立たぬさまと、映画などの配役名と俳優名のエンドロールに見つけた名前の小ささを取合せて、多数の脇役の中の一人の存在を噛みしめている、味わい深い表現ですね。
初夢に妻との会話まざまざと 須貝 一青
愛妻に先立たれた寂しさがひしひしと伝わる表現ですね。
寒厳し番地変りて通り雨 鈴木 ヒサ子
全国的に行政上の理由で地名や番地が唐突に変わることがあります。そのことへの居心地の悪さを、下五の「通り雨」で巧みに表現された句ですね。
節分会妻は太巻き二本買ふ 鈴木 稔
節分会の太巻きは恵方巻のことでしょう。「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじりし、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう」とされていますが、その謂れはよく解っていません。「目を閉じて食べる」、あるいは「笑いながら食べる」という場合もあり、様々です。近畿地方の表現である「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛や家内安全を願うものではなかったのではないかとも言われています。この句の作者は二本の太巻きを夫婦で食べているようです。
水仙に元気を貰ふ余生かな 砂川ハルエ
なにも水仙でなくてもいいのでしょう。今を余生と思う心の余裕と、何にでも感謝の気持ちで日々を見詰めて暮らしている作者の心構えに共感します。
白菜を割りて輝く朝 かな 関澤満喜枝
大きな白菜を縦斬りにばっさりと。中心に向かって黄色の鮮やかなグラデーション。それを下五の「朝かな」で受けて、力のある表現ですね。
一月の温き日差しや七千歩 高野 静子
健康のためのウォーキングで、一日の推奨歩数は六千歩以上といわれていますね。具体的な歩数を詠みこんだのが効果的ですね。一月の寒気の中というものいいですね。
どんと焼燃えて火の色空の色 高橋富佐子
「燃えて火の色空の色」というリズムがいいですね。炎の揺らめきと、その上の空の青さを感じさせる表現ですね。
霜強し鋼の音す山の水 滝浦 幹一
液体を金属の「鋼」の直喩で表現して寒気が伝わりますね。
小春日の座り心地や車椅子 忠内真須美
車椅子生活の不自由さの表現ではなく、日溜りでの居心地の良さの表現で、読者までほっこりとした気持ちになります。
臆病な猫のテリトリー犬ふぐり 立澤 楓
攻めタイプではなく、引っ込み思案の猫ちゃんのようです。自己投影の表現でもあるのでしょうか。下五の地味な「犬ふぐり」の季語も効いていますね。
又ひとつさよならの影春の夜 千田アヤメ
「又ひとつ」ですから、離別の体験が重なっているようですね。うららかな春だというのに・・・という喪失感が伝わります。
山茶花や蕾のままに啄まれ 坪井久美子
作者の繊細な感受性が光る句ですね。
ひこばえの細きに未来八幡宮 中坪さち子
伐られた大樹の根本の、まだ細い新芽。そのたよりないさまに、作者は逆に「未来」を感じているのですね。下五を「八幡宮」という祈りの場所にしたのが効果的ですね。
湯煙や黒酢あんかけ春野菜 成田 眞啓
湯煙ですから、温泉旅館で出された料理のひとつでしょうか。甘味のある酸味と羽歯ごたえ、そして湯の香り。取合せがいいですね。
柚子風呂や女はここでもかしましい 西島しず子
いろんな状況のお風呂が想像されますが、「ここでも」という場所の表現を「柚子風呂」という冬至という季節の中に置いたのが効果的ですね。楽しそうです。
日だまりに笑顔ピチピチ成人式 沼倉 新二
肌などの若々しいさまを「ピチピチ」と、よく表現しますが、この句は成人の笑顔全体の表現にしたのが独創的ですね。
冬うらら葉擦れ清しき小径かな 乗松トシ子
「葉擦れ清しき小径」という表現自身が、清々しくていいですね。
団地の端庭一株の野水仙 浜野 杏
団地の庭には共有地か、その庭に面している一階の専有地か、いろいろあるようですが、この句はそのどちらかですね。いずれにしても狭い庭ですね。そこに春いちばんに野水仙が自生しているのを見つけたという景ですね。小さな春の発見ですね。
画面より字面が好きで日なたぼこ 林 和子
漢字では似た「画面」と「字面」ですが、読むと「がめん」と「じづら」で、最初は画像、後の方は書物のページのことですね。日なたぼこをしながら読書している人が見えます。本が読まれなくなっているご時世、共感する句ですね。
繕わぬ垣根の穴や石蕗の花 平野 信士
「繕わぬ」は無精で放置している状態かなと思ったら、その前にひつそりと咲く「石蕗の花」のために、敢えてそうしているのだということが想像されて、詩情がありますね。
初電話一年分のおしやべりす 曲尾 初生
女性はおしゃべりすると幸せホルモンが出るそうで、男性には出ないそうです。だから女性は長電話は快楽、楽しみの一つなのですね。年の初めを詠んだ句ですから、今年もずっとそうだよね、という想いも伝わります。
初雪やうたげのやうに舞ひて消ゆ 幕田 涼代
「うたげのやうに」をひらがな書きにして、舞い散る姿を造形した表現ですね。優雅な祝祭的気分が伝わります。
夕さりの玄関前の石蕗明かり 増田 綾子
辺りが昏くなってきた夕刻、まるで玄関前だけ灯が点っているように、という表現ですね。「石蕗明かり」という表現はよく見かけますが、玄関前にしたのがいいですね。
深々と辞儀し起業の初出社 水村 礼子
新年と同時に何か新しい仕事を始められたようです。何か晴れやかな出陣式のような空気感が伝わりますね。
春の雲童話の世界に遊びけり 緑川みどり
春の雲を擬人化して童話の世界に遊ばせたのが愉しいですね。
雨戸引く音残る闇寒に入る 村田ひとみ
この余韻の表現は巧みですね。寒気と闇の深さが伝わります。
凍てかへる崩れた街の欠片まで 望月 都子
同時に投稿されている他の句で、この句も能登震災を詠まれたのだと推測できますが、「街の欠片」というズームアップが鮮烈ですね。
ミルフィーユ三寒四温の服選び 保田 栄
洋菓子のミルフィーユ(mille-feuille)を直訳すると「千の葉」という意味で、何層もの生地や素材を重ねて作ることを表現したことばですね。「三寒四温」も気候の重なりで、それを、あれこれと服選びをしているさまを表現したのが巧みですね。
ガード下なべておでんの屋台かな 安蔵けい子
電車のガード下を煉瓦造りのアーチ型の土台にして、その空間を店舗などとして利用し始めたのはドイツ発祥だそうです。山の手線のガード下にはそんな店舗がたくさんありますね。この句ではしかもその店にはおでん屋が多いと詠まれていて、なるほどと思いました。
立春の畑は獸の宴痕 内城 邦彦
農業者にとっては困った食害の景ですが、それを「獸の宴痕」と表現したのが巧みですね。その双方の想いが交錯する句ですね。
着膨れてバスの座席を二つ占め 大谷 巌
そういう人を見かけますね。この句はそれが自分自身であるかのように詠まれていてユーモラスですね。
冬日和一夜寝かせし稿を読む 大竹 久子
まるで漬物か、パンなどの生地のように、自然発酵を待っているかのように詠んで、詩情がありますね。
しんしんと凍てじんじんと能登の闇 小川たか子
しんしんと冷え込み悴んで、じんじんと心に沁みて、悼みの心が深まります。
夫まとふ薬酒のかをり寒明くる 小澤 民枝
「夫まとふ」という表現に、作者の愛情の細やかさを感じる句ですね。夫の健康を祈り、供に迎える寒明けの季節を生きてゆこうという気持ちが伝わります。