ゼミ研修旅行 ~ベトナム~
研修を振り返って:ゼミ生の日誌から
フエの宮廷で
フエの宮廷で

《1》 今回のベトナム研修は、僕にとって初海外旅行だった。旅支度は、パスポートを申請するところから始まった。何でもぎりぎりにならないと始めない性格なので、とうとうヴィザも一人で取りに行く羽目になってしまった。ベトナム大使館のある元代々木まで行くのは、僕にとってちょっとした“行事”だった(伊藤元樹)

《2》 僕らは夜中にホーチミン市に着いたわけだが、空港を一歩出ると、そこで待っていたのは、暑さと、その暑さを倍増させるような大勢のベトナム人。思わず、「なんだここは。とんでもないところに来てしまった。」と口に出してしまった。……
ホテルに行く道で見たのは、夥しいほどのバイク。しかもバラバラに進むバイクの主たち。途上国というのはこういう所なのかと、唖然とさせられた(久保木寛)

《3》 初めに子供たちが日本の歌をうたってくれた。5歳から17歳まで30人くらいの子供たちがそこで生活していた。……栄養不足で成長が遅れているようだった。5歳の子は3歳くらいに見え、17歳の子は15歳くらいに見えた。自己紹介で歳を聞いて、すごくびっくりした。大変さを一気に思い知らされた思いだった。みんなとても感じが良くて、人なつっこく、元気一杯だった。だから一緒に遊んでとても疲れたが、すごく楽しかった。またいつか機会があれば、あの子たちに会いに行きたい(王金鳳)

《4》 トゥドゥック帝の廟を見学した後、露天で休みながら飲んだ初めてのベトナム・コーヒーの味が、とてもおいしくて忘れられません(松丸 清)

《5》 早朝に飛行機で移動し、郊外にある二つの廟を見学した後、さらに街中の広い王宮を歩き回って、ハードスケジュールの一日だったけど、見応えがどれもあってよかった。なかでもグエン朝の王宮は、ベトナム戦争の時の爆撃でほとんど壊されていたが、その壊された後が茫々とした草原になっていて、これはこれで廃墟の美しさ、想像力をかき立てていいなあと思ったりした(高石哲也)

《6》 フエのドンバー市場で、ラカオという、ベトナムの国民的スポーツに認定されている「羽」に出会った。この羽の値段は本当は2000ドンなのだが、日本人はやはり“ぼったくれる”と思われているらしく、最初は5000ドンと言われた。すでに“値切り買い”の楽しさを身につけていた僕たちは、結局2500ドンまで交渉価格を落とすことに成功。さらにハーフパンツ(有名なTommy Hilfiger、もちろん偽物だと思うが)を、1枚90000ドン=US$6=840円で買ってしまった。その後、店の人たちとラカオで遊んだ。国籍を超えて、ベトナム人とスポーツができた。同じ羽を蹴り、同じ汗を流し、同じことに夢中になったこと、これはとても貴重な体験だった(久保木寛)

《7》 ダナンへ向かう列車からは、海沿いの良い景色が眺められた。ダナンの自由行動の時に、ガイドのホンさんが個人的に街を案内してくれた。桜日本語学校があったので、頼んで授業に参加させてもらった。自己紹介をしたり、質問を受けたり、楽しい時を過ごした。外国で日本語学校を体験できたことはとても良かった。ベトナム人が意欲的に、しかも楽しそうに日本語を学んでいたのが、よかった。自分も、外国語を学んで話せるようになりたいと思った。そうすればその国の人と交流ができ、人柄も分かり合えるのではないかと思った(関口 淳)

《8》 クチ・トンネル、それはベトナム戦争の時代に彼らが米軍と闘うために使った秘密基地。そして、戦争証跡博物館。この日は戦争というものを、心の底から恐ろしく思った。この旅の中で一番印象に残っている。地雷や不発弾。人ひとりを殺せるというパチンコ玉の大きさの爆弾。足がない人、手がない人をたくさん見た。見るたびにそのときの戦争の被害者なのかなあと思った。写真や銃も置いてあった。米軍のやり方に最悪だと感じたものがある。それは、拷問にかけても黙秘を続けるベトナム人を飛行機から生きたまま突き落としている写真だった……(金杉哲之)

《9》 ベトナムは活気に溢れて、社会に力強さを感じた。また人々はにこやかだが商売魂はすごかった。成田に戻って来たとき、真っ先に、いつもの風景がとても静かで寒々としていることに驚いた。街だけでなく人や建物も無機質な風で、変な感じがした。このままでは、いつか日本は衰退するなあとも思った。それどころか、もうすでに死に絶えているようだ。だが、ベトナムの子供たちの年齢に合わない身体の軽さや生活の慎ましさを思い出すと、日本とベトナムの貧富の差をまざまざと実感した。ベトナムの戦後はまだ30年しかたっていない。戦後を抜けたらどうなっているのか、僕にとって楽しみである。(西川 努)


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